もう決めてしまったこと。
こんにちは、私はセンスイといいます。
初めて投稿するので右も左も何が何だか分かりませんが、「最初の投稿は自分について書くといいよ!」とNoteに言われたので、その段階しっかりめに踏まえていこうと思います。
まず初めに、私は文芸創作を学んでいる大学生です。
今に至るまでの人生を、時系列に沿ってざっくりとお話したいと思います。
小さい頃の私は、何事も深く考え込んでしまう子供でした。人の視線が何より気になって、刺さるような痛さをよく感じていました。
少しの失敗も悔やんで落ち込んで、全てが苦しくて仕方がなかったです。
そんなとき、私はひとつの曲に出会いました。
私が産まれてきたことを全肯定してくれる、優しい祝福の歌です。
泣きながら何度も聞いて、辛くなるたびにその場所に帰りました。
歌詞の一つ一つが私を守ってくれるから、その欠片を少しも零さないように大事に大事に抱えました。
それは大人に近づこうとする今も変わらず、私の支えになっています。
あの夏の日の出会いが「言葉には大きな力がある」と私に初めて気づかせてくれました。
中学生になって、宿題に作文が出されるようになります。
悩みまくる性質の私は大抵丸一日かけて、手の側面を真っ黒にして書きました。その作文が、小さな賞を取りました。
ある人が「感動したよ」と褒めてくれました。
私がたくさんたくさん悩む人間なばっかりに、こうやってたくさん推敲しただけなのに。
だけなのに。
私は、私の存在する意味を初めて明確に自覚しました。
何よりも簡単に表現するのなら、それは「うれしい。」
”自分そのもの”を褒められることよりも、自分の”文章”を褒められることが何よりも私を認めてくれたのです。
思春期らしいアイデンティティの葛藤や、だんだんと大きくなる承認欲求は全て「文章を書いて、賞をもらう」ことが答えになりました。
それでも、私の性質は変わりません。
勉強のこと、将来のこと、人間関係、自分について…悩みなんて探さなくてもすぐに見つかります。放っておけば良いものですら、自ら探しに赴いて見つけてショックを受けるような中学生でした。
瞼を閉じると同時に、頬を伝う存在に気が付く夜もありました。
閑静な街並みの中、ふいに嗚咽がこぼれる帰り道もありました。
そんなとき私は、スマホのメモアプリにその感情を言葉に託して紡ぎました。ボロボロ流れる涙はそのままに、世界に存在する言葉で例えるのなら、それは確かに詩でした。
誰に伝えるわけでもない自分の思いだけれど、真っすぐにまるごと取り出して表現するにはどうしたら良いだろうか。この言葉を変えれば、なんだか綺麗に見えてこないか。
そうやって考えているうちに、視界が良好になっているのに気が付くのです。
言葉たちは、いつだって私に寄り添ってその心を預かってくれました。
高校生になると、自分の得意・不得意が否応なしに現実として突き付けられます。薄々気が付いていたことですが、私は理系科目が全く出来ませんでした。本当に全く出来ませんでした。結構辛かったです。
私は真剣に勉強してるのに、あの人は教科書を読むだけで理解できるのに。
時には過呼吸になりながら、机にしがみ付きました。
それでも、試験の答案用紙をひっくり返して毎回絶望するのです。
解ける問題は、これとこれとこれ。
あぁ今回も私、時間いっぱい余っちゃうなぁ。
ほとんど解けないから…。
自分の努力が必ずしも結果に直結するわけではない。
向き不向き、適材適所は誰にでもあるのだと私は前を向きました。
そう前を向けたのは、またしても文章を書くことに救われたからです。
以前よりも大きなコンテストで、以前よりも大きな賞に選ばれた。
そのことが、私の心を大きく支えてくれました。
ずっと支えてくれた文章は、いつだってその成果を私に与えてくれました。
ある分野では、どれだけ努力しても見向きもされない私が。
それだけは誰にも譲れないものとして、より一層大切なものになっていきました。
進路選択の時期がやってきました。
私は進学を希望している文系の生徒でした。
学部はたくさん、たくさん悩みました。
頭の片隅にずっとあった選択肢は無視したまま。
「就職のためには経済学部、商学部が有利なのかな」
「国際社会に生きるんだから、英語を学ぶのも良いな」
「法律を知っていたら将来役立ちそうだな」
『何を学びたい』ではなく『何を学ぶべきかを重視するべき』だ。
自分の気持ちなんて置いてきぼりで、いつ誰が言ったのか言ってないのかも分からない言葉に囚われていました。
さぁ、いよいよ決めるとき。
私の中に燻っていた違和感は日に日に大きくなって、もう無視できないものになっていました。
何となくで決める人もいるでしょう。
それでもきっと、その先に出会いがあることだって間違いありません。
だけど、でも、違う。
私には、行きたい場所がある。
私には、学びたいものがある。
私は、文芸創作を学びたい。
もうきっと、たぶんずっと、心に決めていたことでした。
自分を救ってくれた、寄り添ってくれた、私のアイデンティティだって全部もう『文章』だったのに。
私はそんなに大切なものを手放して、知らないフリをして生きていこうとしていました。そんなこと出来るわけがないのに。
私の決断に、両親は大きく頷いてくれました。
ただ自分の『好き』を貫きに行く私の背中を押して「行きなさい」と言ってくれました。この世で最大級の感謝を表す言葉を知っている人がいたら、ぜひ教えてほしいです。
そうして私は、文芸創作を学ぶ大学生となりました。
私は文章を書くことが大好きですが、それは私にとって同時に「人に認めてもらう」という成果を求める行為です。
純粋な動機ではないと正直感じます。
だけれど、だからこそ、
より誰かに届く文章に仕上げていけると思うのです。
私は自分自身で満足できる文章だって書きたいけれど、それと同じくらい私ではない人にも感動してほしい。
それが小説なのか詩なのか、もっと別の表現方法なのかは分かりません。
これから先、学生時代も飛び越えた先、私の人生の全てを賭けた挑戦だと思っています。
私の紡ぐ文章で、
誰かの非日常を創る。
感動してもらう。
幸せになってもらう。
また明日も、生きたいなって思ってもらう。
私の描く小説が面白かったら、続きを気になってくれるかもしれない。
私の書く詩に感動したら、何だか活力が湧いてくるかもしれない。
いつかの私が、そして今の私もあの歌詞に支えられているように。
『言葉には大きな力がある』
私がこの生涯をかけて果たしたいことは、あまりにも大きなものだと理解しています。だけど、やりたいからやります。
これが私の全てです。
つい長々と語ってしまいました。自分、文章を書くのが大好きなもので。
もしこれから私の文章をあなたが読んでくれるのなら、
私よりも幸せな人はいないでしょう。
でも私だけだと嫌だから、あなたも幸せになってくれると良いな。
そんな優しくてあたたかい言葉を紡いで生きていきます。
ぜひ、応援してくれると嬉しいです。
これからよろしくおねがいします。
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