夢の話 / 異界・サウダージ番外編

夢の話…

心に仕舞い込まれている美しい風景…
普段は跡形もなく忘れているのに…
ふとした拍子に浮かび上がる…
その一つが…君と行った大原三千院…
はるか昔の話だね…
僕らはまだ高校生…
僕にとってはあれが初めてのデートと呼べるものだった

春先…今にも降り出しそうな曇り空の一日…
そして夕暮れ時になると
雨ではなくて結構な勢いで雪が降り始めた…

二人は三千院門前の茶屋の座敷に
大きなガラス戸の向こう
木々の間を雪の風が吹き抜ける
その光景を黙って二人で見つめていた…
そんな日だから、客は僕らだけ
二人こたつで丸くなりながら…
あまりに静かで…止まった時間…
帰らないといけない時間なのに
寒そうでこたつから出られなくて…
ただ、なにごともなく時間が過ぎて行った…
でもそれがなんかとても貴重な気がしていた

その情景や空気感…
脈絡なく蘇る時があるんだ…
その時のこと覚えている?

と訊くと
…ええ…と君が答える
そして君はいたずらっぽく微笑みながら…

その三千院に向かうバスの中のことよ…
途中の停留所に止まった時
何が気に入らないのか…老人が急に大きな声で運転手を罵り始めて…
些細な行き違いだと思うけど…よっぽど腹が立ったのでしょうね
老人は運転手の肩をつかんで離さない…
運転手もなんとか老人を鎮めようとするのだけど…
結構力も強くて乱暴に揺すったりするので
運転手の帽子が落ちたりしていた…
その時見かねたそばのお客さんが
とりあえず老人抱き抱えるようにをバスから降ろして…
そのまま二人を置き去りにしてバスは発車した…
あのお客さんはどうなったのか…
今でもたまにそんなことを思い出したりするの…
私って変かな?

その話…僕は覚えていなかった
でも、そんなことがあった気はしてきた…

僕らはなぜか東北の田舎町のバーで並んで飲んでいる
これが夢だということ…僕はもう気づいている

思い出話の情景…半世紀も前
そして僕は十分年老いているのに…君は若い…
でも目の前に座っているはずの君の顔はわからない…
あれほど好きだった人の顔を僕は覚えていない…
覚えているのは名前だけ…
そのことが切ない…

あなたとデートを重ねてたのは1年半くらいのことかしら
その後あなたは大学に行き、私は卒業してすぐに就職
それでも毎週のように電話をくれて、
喫茶店で珈琲を飲んだり、夕暮れの街を散歩しながら無駄話しをする
あなたは映画や音楽に詳しくて、いろんなことを教えてくれた…
それが楽しくて…電話をくれるといつも断らなかったのよ
私の方が何ヶ月か歳上なんだけど
職場の悩みなんかを話すと、
案外的確なアドヴァイスをくれたりもしたね

そんなことあったっけ?
勝手なことを言ってただけだよ…ごめんね

楽しかったけど、
私にとって少し物足りない時間でもあったわ
あなたはいつも紳士だった…
私の手に触れることもしなかった…

少し艶っぽく瞳が輝く…
顔を覚えていないのに表情ははっきりとわかる

あの頃の僕には
女の子という存在をどう扱って良いのかわからないし
それに君は僕にとって特別だった…
近づきたいのに近づけない…
君に触れたかったけど…
もしそれが失礼なことで、嫌われたりしたら、と思うと…

もどかしかったわ…
あなたが思っていたほど、
女の子なんて特別でもなんでもないのよ…
神聖でもなければ、壊れやすくもない…
少し馬鹿なところもあるし、意地悪なところもある…

でも可愛くて…美しくて…切なくて…
僕はそんな君に憧れた…

最後に会った夜の公園…
あなたは初めて私を抱きしめようと手を伸ばして
私はそれを受け入れようと立ち止まった…
そしてあなたが顔を近づけてきて
初めてのキスをくれるかと思ったのに…
あなたはそこで動きを止めてしまった…
あなたに触れて欲しかったのに…

僕は君の身体に触れることさえできなかった…
あの頃の僕は自分の殻から出ることさえできなかった
そして今だに僕は自分の殻に閉じこもっているのかも

普通に恋をして…愛し合って…喧嘩して…
もっと深くお互いを知り合っていたら…
もしかしたら二人の物語はそこで完結したでしょう…
そうしたら
今ここであなたと再会することなかったのかも…
あなたは完結しなかった物語の名残を夢見ている
その中で私のことを思い出してくれている
でも、嬉しいわ…

君の寂しそうに微笑み…
その姿を見ると僕の胸は未だに騒ぐ…
今でも僕は君に恋している…

もう一軒素敵な店があるの…一緒に行きましょうよ…
気分を変えるように明るい声でそう言うと君が立ち上がる…

僕にはもうこの夢の結末がわかっていて
そこから離れたくはない…
でも…君に手をとられてしぶしぶ一緒に外に

夜、田舎町の商店街はシャッター通り
暗く閉ざされた街並みがどこまでも続いている…
街が暗い分、空の星は明るく輝いている…
果てしない漆黒の広がりの中に散りばめられた砂粒のようだ
その一粒が君で…一粒が僕…

手を繋いだ君がこちらを向いて微笑みかける
…君の手、こんなに小さかったんだ…
…あなたの手はこんなに大きかったのね…

あなたと再会できて嬉しい…
君は歌うようにそう言いながら小走りに走り始める

秋の風は冷たいのに、君は白い半袖のポロシャツ
短めの紺色のスカートから伸びる脚が若々しい
君はあの頃のまま…溌剌として弾んでいる
その若く軽やかな足取り
年老いた僕にはついていけない
左の膝が思うように動かせないんだよ…
二人の距離は広がって
ほら…早く!…君が走りながら僕を呼ぶ

急に暗い街がねじれる…
水面に描かれた絵のように渦を巻き始める
街も星空も…
そして笑顔の君がその渦の中に溶けていく

おい、もう少し僕と一緒にいてくれないか…
僕は…それでも足を急がせて追いかけようとする
そして僕自身も闇の渦に呑み込まれていく……

僕は目覚めた
締め付けるような寂しさを感じながら


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