フォロワー数は意味の無い『ただの数字』である
どうも、みつばです。
孤独を愛するコミュ障。主婦です。
noteを始めて4週間。
今一度、フォローとフォロワーについて考えたい。今回は、SNS初心者で無知な人間の独り言だと思って読んで下さい。
またこの記事はフォロー、フォロワーについて否定的な表現もありますが、これもひとつの価値観であり、私の人生観である事をご容赦ください。
私は対人関係で上手くいった事がない。
リアルの友達がマジで1人もいないコミュ障人間。そして私はオンラインでもコミュ障だ。ネットコミュ障(症)とも言うらしい。
私はnoteを始めるまで「いいね」も「スキ」も「コメント」も「👍ボタン」もYahooニュースの「共感した」も押した事が無い。徹底したROM専(見るだけ読むだけの人)だった。
しかし、noteで発信し始めて自分の行動や考えが文章化することで気持ちが整理され、今では気に入った記事に「スキ」ボタンが押せるようになった。
↓コミュ障のスキボタンの意味
とは言え、もう1つある「フォロー」の意味が解らず、未だに誰もフォローできていない。
※note公式は初めからフォローされているのでそのままです。(わざわざ外してフォローを完全にゼロにする必要もないと思うし)
フォローとフォロワーはただの数字
私にとって、フォローとフォロワーは小さな文字で表示された、ただの数字にしか見えなかった。何故この「ただの数字」に多くの人はこだわるのか。数字の意味が理解出来ない私にとって、フォローはスキ以上にハードルが高い物だった。
フォロワーが多い程、信頼されている?
フォローすると相手と繋がれる?
ボタン1つで信頼関係が結びつくんですか?
こんな事を書いたら「あー、この人マジでモヤる」とか思われそうなんですが、このまま続けます。
教えてGoogle先生
noteを始めてしばらくした頃「noteのフォローってどういう機能?なんなんコレ?」と思ってGoogleで調べると、一番上にnote公式が表示された。(コミュ障は人に聞けないので、分からない事はGoogle検索する)
なるほど。いい記事を書くユーザーさんなら、毎回新着記事を読みたい。
そういう意味なら、フォロー=ブックマークなのか。
フォローはブックマーク
パソコンのWEBブラウザーで、気になるサイトを「お気に入り」に入れるアレと同じか。
フォロー機能は「お気に入り登録」
なるほど、1つ知識が身に付いた。
しかし「お気に入り」にするなら「スキ」だけでも良いのでは?
スキだけでもユーザーさんに気持ちは届くし、スキ経由でユーザーさんのページに飛んで記事が読める。別にフォローしなくてもスキ機能だけで充分ではないか。
フォローはブックマークじゃ…ない?
度々見かける「フォロワー数が多くても、中身スカスカのゾンビアカウント」の人。
「この人たちは自身のフォロワー数を増やす目的で手当たり次第にフォローしまくっている。フォローしたらフォローバックしてもらうのを待っている。フォローバックされなかったらフォローを外される」と誰かの記事で読んだ。(たくさん読みすぎて覚えておらずスミマセン)
フォローバック狙いのフォロー?
ただの「お気に入り登録」ではない??
ネットの中には、フォロワーの数字だけを増やす目的の人が一定数存在しているのを知った。
ここでようやくフォロー=ブックマーク機能では無いと気付き始める。(遅)
この人達は明らかに「お気に入り登録」としてフォローボタンを押しているわけではない。フォロワー数を増やすだけが目的。
なぜこの数字にこだわるの?フォロワー数を増やせば、大きな利益に繋がるの?ますます理解に苦しんだ。
確かに有益な情報を記事にしているユーザーさんはそれで収益化している。しかし、記事を1つも上げていない人は何の目的があるのか。たくさんフォロワーを集めて、怪しい情報を売ったり勧誘するのが目的だろうか。
教えてGoogle先生(再)
noteに限らず、X、Instagram等、SNSのフォロワー数が何故あんなにも重視されるのか。
私から見ると、ただの数字。
この「ただの数字」が100や1000になるのが何故スゴイ事なのか。
フォローとフォロワーの意味についてユーザーさんごとに意見を述べている記事はたくさんあり、ひとつひとつ読ませていただいているが、今ひとつ自分の中で着地点が見つからない。
コミュ障の味方、Google先生に再度教えてもらう。(Google検索はとても便利です)
うん。つまりビジネスにおいては大いに関係があると考えられる。フォロワーが増えれば、いち早く情報を提供できるし広告宣伝費を削減できる。
フォロワー数を増やすメリットは理解できた。
では、ビジネスに繋がっていないアカウントにフォロワーが100や200もついているのは何故だろう?
フォロワー数は承認欲求を満たす?
Google検索に表示されたサイトをもう少し深掘りして読んでみる。
どうやらフォロワーが増えると承認欲求が満たされるらしい。
自身の表現が、他人に認められた。
もっと認められたい。
もっとフォローが欲しい。
なるほど。承認欲求は人間だれしもある、ごく自然な欲求だ。私も「スキ」通知が届くと「記事を読んでくれたのかな」と思って嬉しくなる。
え。じゃあただ承認欲求を満たすだけなら、スキ機能だけで良くない?いい記事を書けばその分スキの数が増えるだろう。(※スキは記事を読まなくても押せます)数字にこだわるならスキの数字を集めれば良いのでは?
フォロワー数は「この人、何か凄い」を数値化したもの
調べた結果、ただ承認欲求を満たすだけではなく、アカウントのホーム画面に表示される事に意味があるのかな、と思った。
ユーザーさんのアイコンを押せば、ホーム画面にフォローとフォロワーが表示される。記事を読まなくても、その人がどれだけ「すごい」のか。数字が1つの目安になって視覚的に分かりやすい。
noteの記事を読むのは時間がかかる。
ましてや、1つの記事だけではそのユーザーさんの本質や力量までは見抜けない。
だからフォロワー数が多いほど「たくさんの人から信頼され、支持された人」に見せかける事ができる。
ネットショップの口コミやレビューの数が多いほど「この商品はたくさんの人から支持されているから、きっと良い商品なんだ」と思わせる事と同じだ。
そうするとフォロワー数は、ますますビジネスのみ効果があると言える。
フォローゼロはカッコイイ?
フォロワー100に対して、フォロー0の人をたまに見かける。
フォローバック(相互フォロー)の関係で得た数ではなく、実力でファンをつけた証なのだろうか?それほど魅力的なアカウントであり、支持されるカリスマ性を持っている人なのか。
しかし、このフォロー0、フォロワー100にどこか違和感があるのは何故だろう。この状態が別にカッコいいとも思わない。
フォローもフォロワーも1桁の私のアカウントとは少し傾向が違うようだ。
どういう思いでフォロー0を貫いているのか分からないが、私が誰もフォローしない理由はハッキリしている。
フォローはお気に入り機能。
ふりだしに戻る。
やはりフォローはブックマークだ。
私は気になるユーザーさんが見つかった時にフォローしたい。そのユーザーさんの新着記事を読むだけの為に、このフォロー機能を使いたい。ただ、そこにフォローバックして欲しいと言う気持ちは無い。気に入ったのならフォローすればいい。それだけだ。
そしてこのフォローについてもう1つ、分かった事がある。
フォローの向こうには人が存在する
パソコンにあるブックマークは機械だ。
だから必要無くなったらブックマークを削除すればいいし、新たに追加するのも気兼ねなくできる。
しかし、アカウントフォローの向こうには、必ず『人』が存在する。『人の心』がある。
フォローされたら喜び、フォローされなかったら落ち込む。そうやってSNS疲れを起こしてメンタルがやられる。
リアルの人間関係も、オンラインの人間関係も、結局は一緒。人付き合いが苦手な私にとって、メンタルを振り回される時間は不毛だ。
フォローの向こうに『人の心』がある以上、フォローはもっと慎重に押すべきだ。
フォロー0、フォロワー0でも問題ない
仮に全ての数字が0になったとして、デメリットはあるだろうか。
フォロワーはビジネスにおいて必要な数字だが、私のnoteアカウントは「文章スキルを伸ばす為」に存在する。ビジネス用にnoteを始めたわけじゃない。
たとえ数字が0だったとしても、私の執筆活動に何ら影響は無い。アカウントを停止させられる訳でもない。スキとビューの数を時々確認するが、数が伸びず落ち込んでnoteが書けなくなる事は無かった。
【最後に】
私の発信が、ネット砂漠の1粒に
ROM専をやめ、発信を始めてから気付いた事がある。
私の発信は確かに、ネットに存在している。
これはROMばかりでは気付かなかった事だ。
私は、0→1を生み出したのだ。
溢れかえる情報砂漠の、たった1粒を生み出した。私の発信が砂漠に埋もれて、誰からも気付かれなくても、読まれなくても構わない。私は自分の言葉で、自分の考えで、自分でこの世に発信させた。
私はそれだけで大満足だ。
フォロワー100より意味がある。
フォローフォロワーの数字が0だろうと、100だろうと、目指す所はブレない。
次は何を書こうかな。
「明日の夕食なに作ろうかな」と同じくらい、気楽にnoteを続けよう。
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