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ありがとう 獅子の守護神・増田達至

いつ、何がキッカケだったのかハッキリとは覚えていないが、気がつけばライオンズで1番好きな選手は増田達至になっていた。

キャリアの中で40登板に満たなかったのは、引退を決めた2024年以外では2021年のみ。毎年40登板、50登板は当たり前、多い時にはシーズン半分の72試合にも登板し、通算560登板。プロ野球界全体で見ても、中継ぎでこれほど長く活躍できる(できた)人はそう多くないと思う。丈夫な身体と鉄腕っぷりで中継ぎとして毎年チームを支え、勝利に導いてきた姿がとても頼もしかった。大好きだった。直球中心の投球、相手もそれを待っている中で三振を奪っていくスタイル、カッコよかった。
中継ぎ、セットアッパー、クローザー、過酷でありながらあまり陽の当たらないポジションかもしれない。その一方で、特にクローザーともなれば私なんかの想像が及ばないほどのプレッシャーもあっただろう。痺れる場面でも表情変えず淡々と投げ込む増田さん。抑え向きの性格と言われることもありプレッシャーとは無縁なのでは?と錯覚しそうになるけど、そんなことはないだろう。引退会見でも辛いことの方が多かったと話していた。2023年のハイタッチ動画では、チームは勝ったものの増田さんが失点してしまった試合で「すいません」と俯き小さく呟く姿も見た。数百試合とてつもない緊張感の中で投げきたのだなと改めて感じさせられた場面だったと思う。
そんな心身共にタフさが求められるポジションで登板を重ね、球団の救援記録を塗り替え、数々のタイトルも受賞。正に【獅子の守護神】という言葉がピッタリな、記録にも記憶にも残る偉大な投手だった。

ブルペンかぶりつきシートから


12年間、本当にありがとうございました。
あるときは投手陣の中でお父さんのような、またあるときは友達同士のような雰囲気で楽しそうにしている姿、柔らかな人柄でチームメイトやファンから親しまれている増田さんを見るのも好きでした。SNSやハイタッチ動画で試合以外の選手を見る機会も増えましたが、投手陣の雰囲気の良さは増田さんあってのことだろうなと思っていました。



ここからは印象的だったことをいくつか振り返りながら…

ルーキーイヤーの2013年終盤、先発登板した試合が2試合ほどあった。結局、キャリアを通じて先発登板はそれだけだったことを考えると、その内の1試合を現地で見ることができたのは増田達至ファンとしてとてもラッキーだったなと。積極的に自慢していきたい(誰に)。

高橋朋己投手と共に勝ちパターンを担っていた時、同級生で同期入団の2人がそれぞれ右から左から、力強いストレートを投げていてワクワクした。あとやっぱり72登板はハンパないって。

2017年の交流戦ベイスターズ戦、マウンドで「一度来てみたかったんだ」と冗談を言って和ませた辻監督と、期待に応え宮崎選手にリベンジを果たした増田さんのエピソードが大好き。
少し話は逸れるが、2023年には辻さんの著書のお渡し会が開催され、私もそれに参加。少しだけお話できたので、増田さんのファンで辻さんがマウンドに来たエピソードが好きで…と緊張で噛みまくりながら伝えたところ、「マウンドに行ったのはその時と優勝したときでどっちも増田が投げる時だったんだよ(笑)。いい選手だよ、応援してあげてください。」と声をかけてもらった。応援してあげる、なんてとんでもない、応援させていただきますという気持ち…なんてことを思いながら会場を後にした。
そんな辻さんの話にもあった2019年の優勝決定試合、マウンドで辻監督からボールを受け取った増田さんが見事優勝投手に。ガッツポーズからの森友哉との抱擁は名シーン。前年の悔しさを晴らす素晴らしいシーズンだった。

2020年には無敗のセーブ王という大記録を残し、オフにはFA権を行使しての残留が発表された(!)。確かFA権行使申請期限の最終日だったっけ。それまで決定的な報道もなく、これはどうなんだ?どうなるんだ?と、ずっとソワソワしていたなあ。そこからの宣言残留、本当に本当に嬉しかった。

残留後はうまくいかないこともあったかもしれないが、それでもマウンドに立ち続けてくれたし復調の気配を見せてくれる時期もあった。以前ほどの制圧感はないかもしれないけど、セーブシチュエーションでの登板は減るかもしれないけど、しれっと復調して一軍の欠かせない戦力としていてくれるだろう。怪我人が出たとき、クローザーの連投を回避するとき、スルッと9回に登板してヌルッと200セーブいくんじゃないか?そんなことを願望に近いかもしれないが思っていた。2024年夏前にベルーナドームで観戦した時は、セーブシチュエーションではないがリードした展開で増田さんが投げるのを見ている。



増田さんの引退を知ったのは夜中、スポーツ紙の記事がXに流れてきたのを目にしてだった。全く予想していなかったわけではない。このタイミングで、というのも理解できないわけではない。でも、まだまだ増田さんが投げている姿を見たいし、もう一年は続けるのでは?とも思っていた。理解できないわけではないけど消化できない、そんな感じでその日は目が冴えて寝られなかった。
その後、引退試合の日程が発表された。元々ドームに行く日ではなかったためチケットをとる。ブルペンの近くか、マウンドの見やすい内野席か、席種に悩んだが外野席にした。当日は外野で思い切り声を出そうタオルを掲げよう、そう思った。

一軍での引退登板前にファーム最終登板
ライナにユニフォームを持ってもらった
かわいい

引退試合当日は増田さんのユニフォームやTシャツ、タオルを身につけたライオンズファンをたくさん見かけた。自分は埼玉住みだけど、全国から駆けつけたファンも大勢いたんだろうな。
試合が始まり、ライオンズの攻撃を応援しながらもブルペンが気になる。増田さんがアップを始める。ああ、登板は9回じゃないんだな。そんなことも考える。そして最後の登板、外野から名前を叫ぶ。幾度となくライオンズファンを歓喜の瞬間に導いてくれた増田達至、最後のピッチングを見つめる。
試合後のセレモニー、親交のある方々からのメッセージ、お子様の手紙、チームメイトからの花束、どれもがとても感動的だったし、ときどき笑いが起きたのも増田投手のほんわかした雰囲気が反映されている気がしてグッときた。増田さんのことは忘れないよ。忘れられるわけがない。そういえばデムーロ騎手との繋がりだけわからなかったので、いつかどこかで話してもらえたらいいな。あと引退試合の日とその次の日、二日続けて焼肉丼食べた。
最後に増田さんからのメッセージ。ライオンズ日本一の夢を諦めていないと言ってくれたこと、とても嬉しかった。私も増田達至が日本一の男になるのを諦めない。ライオンズが日本一になったとき、歓喜の輪の中に増田さんがいることを願っています。そして増田さんが夢を託した選手達にドームで声援を送ります。

(長々とメッセージというより私の備忘録のようになってしまいました…。そのうえ書き終えたのが9月30日の朝7時半。締切を過ぎるという体たらくで増田さんの元に届くかわかりませんが…。)

最後になりますが、改めて現役生活12年、その全てをライオンズで過ごしてくれてありがとうございました!!獅子の守護神が大好きだ!!


余談も余談ですが…
以前、甲子園球場へ行ったときに淡路島まで足を伸ばし、原付で島を一周してみました。増田さんのユニフォームを着て海岸沿いをぐるっと。景色が綺麗で、海岸沿いを走りながら見る夕焼けに感動しました。また近いうちに行きたいと思っています。

淡路島洲本市でパシャリ

そしてファーム最終登板の日、このユニフォームにサインをいただくことができました。お忙しい中ありがとうございました。一生の宝物です。

うれぴっぴ

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