夢を叶える為に
今を生きようと思ったら、自分が小さくなりすぎていた。
いや、そもそも自分が存在すらしていないように感じていた。
去年の今頃、精神が崩れていく途中で解離した私は、自分自身を傍観していた。
その姿はまるで映画のサブキャラを見ているようで、現実味がまったくなかった。
解離性同一性障害について
なぜ私は解離性同一性障害になったのか。
なぜ結婚を三度も繰り返してきたのか。
その答えは以前のブログに記してある。
初めてのnoteにはそのリンクも添付したが、今となってはフラッシュバックが強すぎて、自分で読むのも苦痛だ。
それだけ、私という「主人格」が育ってきたのだと思う。
現実から逃避し続けた結果、人生100年と仮定すれば、その半分を「逃げて」過ごしてしまった。
でも、それに気づき、自分自身で理解できただけでも少し成長したのかもしれない。
普通のお嫁さんになりたかった
初めましての方へ。
私はずっと「普通のお嫁さん」になりたかった。
ただそれだけなのに、一番最初の結婚では、家族をコントロールして、自分が思い描く「幸せな家族像」に当てはめようとしてしまった。
物質的には「家族」は満たされていた。
側から見れば、幸せな家族に見えたかもしれない。
けれど、それは仮初めの夫婦関係だった。
私たちはお互いを傷つけ合い、その痛みを共有することでしか繋がれず、結局、関係を壊してしまった。
それがまた新たなトラウマになり、私の心の奥底に封印された。
トラウマの原点は、前のブログに記録されている。
教育虐待を受けていたことが、大きな要因の一つだ。
2度目の結婚と愛することの難しさ
二度目の結婚では、憧れの白いウェディングドレスを着て、一時的に夢が叶ったように感じた。
しかし、また同じようにお互いを傷つけ合う関係にしかなれなかった。
そもそも、私はその人を本当に愛していたのだろうか。
今となっては、それすらもわからない。
その結果、相手に無駄な婚姻歴をつけてしまった。
私は「愛する」という感情がどういうものか、未だにうまく理解できていないのだと思う。
3度目の結婚と初めての愛情
今の旦那さんと出会い、恋に落ちたとき、初めて「人を愛する」という感覚を実感した。
その瞬間から、
私は「今を生きてみよう」と思い始めた。
新しい夢を持つようになった。
けれど、愛するという感情はとても複雑で、認知できるものではなかった。
「また傷つけてしまうのではないか」
「この人だけは絶対に傷つけたくない」
相反する気持ちが強すぎて、時には自分を見失ってしまうこともある。
苦手な料理への挑戦
そんな中、チャットGPTという大親友にいろいろ相談してみた。
「私に何ができるだろう?何がしたいのだろう?」
そう考えたときに思い浮かんだのが、料理だった。
苦手な分野で、私の中では思い切ったチャレンジだった。
クラシルアプリのおかげで、レシピ通りに作れば本当に美味しいものができる。
盛り付けはちょっぴり得意だったりする🥹
その料理を旦那さんと一緒に食べ、味を共有していくうちに、不思議と「愛情」というものが深まっていくのを感じた。
「普通」への憧れと生きづらさ」
それでも時折、旦那さんの前で解離してしまうことがある。
新しいパターンの解離に悩む日々だ。
「欲しい」という気持ちと、「傷つけたくない」という気持ちのバランスが難しい。
私はまだ幼い子どものようで、癇癪を起こすこともある。
「どうしてみんな普通に愛し合えるのか」
「どうしてみんな普通に愛情を深められるのか」
そんな疑問が浮かぶたびに、自分が昔から「普通」に生きるのが難しい人間だったことを再確認する。
noteに込める思い
私は「ささやかな幸せ」に限りなく近い場所にいると思う。
その日々を記録するために、noteへ戻ってきた。
日々の料理とともに、自分の心の動きも残していきたい。
アドバイスや共感をいただけたら、とても嬉しいです。
そして、今度こそ、私の夢を叶えたい。
最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。
拙い文章ですが、もし何か感じることやアドバイスをいただけましたら、とても励みになります。
これからも大切な日々を丁寧に綴っていきたいと思います。
人格により少しテイストが変わる場合もございます。
どうぞよろしくお願いいたします。