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『凸凹息子の父になる』11 喋らない息子
翌年の春から翔太も保育園に通うことになった。長女が年中組、次女が年少組なので、二年間は三人揃っての通園になる。
歩けば五分の距離だが、三人だと荷物も多いので車で通園するようになった。
上の二人の娘たちは、初めての登園時には母親と離れるのを嫌がって大泣きしたが、翔太は全く泣かなかったそうだ。泣かれるよりはいいのだが、すんなりと初対面の保育士さんに抱かれる様子を見て、妻は若干がっかりしていた。
もともと、人見知りをしない子だった。翔太は上の二人に比べると、母親に甘えてまとわりつくよりも一人で予測不能な行動を取ることが多い。
そして何よりも、翔太が全く言葉を話さないことに、妻は気を揉んでいた。
長女も次女も一歳になる前には何らかの単語を話し始めていたが、翔太にはその兆しが一向にない。この夏には二歳になるというのに、未だに家族に「あーやん」と言うくらいで、意味のある単語は話していなかった。
「お袋の話じゃ俺も遅かったらしいよ。五歳くらいまで、喋らなかったって」
「ふーん、男の子と女の子じゃ違うのかな」
そう言えば我が家の場合、娘たちと息子とでは好きな物が全く違っていた。それは性差というよりは、あくまで個人の好みの違いなのだが、それも言語の習得に影響しているのかも知れない。
例えば、長女と次女はディズニーやジブリのビデオが好きで、結構それで言葉を覚えていたような気がする。
一方の翔太は、走行する車の運転席から見える景色を延々と流し続けるケーブルTVの番組ばかり観ていた。
その映像では、実際の運転に合わせて信号で止まったり、道路標識で曲がったりするので、観ているうちに自分が運転しているような気分になる。
しかし、この番組には言葉による音声がなく、BGMが流れるだけなので、言葉の勉強にはならなかった。
好きなビデオも『トムとジェリー』で、いつも声をあげて笑いながら観ていたが、台詞よりも音楽と効果音で表現されているアニメだった。
他には歴代のウルトラマンと怪獣の戦闘シーンを集めたビデオを観ていたが、息子は「シャッ」とか「トゥ」と叫ぶばかりだ。
今の息子は言葉の要らないコンテンツに興味があるから、上の娘たちより言葉の習得が遅いのだろう。まあ心配しなくても、そのうち話す時が来るだろう。
そして、その時が来た。
息子が二歳を過ぎたある日のこと、車の窓から信号機を見て
「しんごっ」
と言った。
初めて、意味のある単語を話したのだ。大げさかもしれないが、三重苦のヘレン・ケラーが初めて「Water」と言葉を発した時も、こんな感じだったのだろうかと思った。
それ以来息子は、車で出かけて信号機を見つける度に
「しんごっ」
と言うようになった。そして車が線路に差し掛かかり踏み切りの前で停車すると、
「くびきりっ」
と言う。「ふみきり」と言っているつもりなのだろう。
「おいおい、首切りとは、物騒だな」
私が笑っているうちに遮断機が下りて、二両編成のローカル列車が通過する。すると翔太は大興奮で、
「でんしゃっ」
と大声を出す。翔太の脳内で、楽しい出来事や興奮することがある度に、シナプスが繋がっていくようだ。
秋になり、保育園でお遊戯会が開催された。子どもたちにとっては一大イベントで、親にとっても、我が子の新たな一面を知る機会になる。
義母のリサさんも楽しみにしていて、毎年やって来る。そしてビデオと写真の撮影は、保育園が頼んだプロの業者がしてくれるので、保護者は手放しで鑑賞できるのも助かる。
先ずは、次女のクラスが、きのこのダンスを披露した。全員、きのこの帽子と衣装をつけて、歌いながら踊る。
「き き きのこ き き きのこ
のこのこ のこのこ あるいたり しない」
両手を頭の上に乗せて、踊る仕草が微笑ましい。リサさんと妻は、大笑いしながら見ている。
次は、翔太たちだ。ミツバチや蝶やてんとう虫などの衣装を着せらた1、2歳児が、登場するだけで笑ってしまう。
しかし、当の本人は不機嫌だった。なんでこんな格好をさせられ、こんなことをしなければいけないんだと思っているのか、憮然としていた。
音楽が鳴り、他の子どもたちが踊り始めた。しかし翔太は、じっと立ち尽くしている。他の子がどんなに楽しそうに踊っても、観客が大笑いしても、息子は微動だにしない。
「どうした、翔太?このまま、最後まで踊らないのか?」
と思いきや、曲が二番になった途端、息子は狂った様に踊りだした。その必死な様子が可笑しくて、会場が笑いに包まれた。
「何だ、躍れるんじゃないか」
彼は一番で出遅れてタイミングがつかめず、二番が始まるまで待っていたのかもしれない。そして出遅れを取り戻すかの様に、懸命に踊っていた。
その健気な姿に、息子の成長を感じた。そして息子に、ここまで踊れるように指導するとは、保育士さんは大したものだ。
横を見ると、妻が涙を流していた。何の涙だろう。泣くほど感動したのだろうか。それとも出遅れた息子を哀れに思っているのだろうか。
翔太の姿も、翔太を見ながら泣いている妻も、見ていると可笑しくなって噴出しそうになる。しかし、ここで笑うと妻の逆鱗に触れそうなので、なんとか堪えた。
長女達の踊りも、元気いっぱいで上手かった。泣き虫だった長女が、ノリノリで踊っている。そんな娘の姿を見ていると、私の涙腺も緩んでしまう。
それにしても、子どもたちを細やかに指導し、短期間でここまで成長させる保育士さん達は、本当に凄いと思う。