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『凸凹息子の父になる』31 メガネと信号機


 近頃、翔太は学校が楽しいらしい。めっきり表情が明るくなった。
 朝も自分から準備をして、みんなと一緒に歩いて登校する。  これも、学校中の先生や生徒たちのお陰だ。

 帰宅すると息子は、毎日のように牛乳パックでメガネを作っていた。丸いメガネや四角いメガネに、赤や青や緑やら色とりどりの色紙を貼って仕上げる。器用なものだ。
 それをまた、一つ一つ丁寧に封筒に入れ、それぞれに小学校の先生方の名前を書いていた。なんでも学校中の先生に、手作りメガネをプレゼントするらしい。それほど翔太は、学校中の先生方に可愛がられているのだろう。

 秋になり、小学校の文化祭に妻と出かけた。毎年、それぞれのクラスがステージ発表や展示発表で趣向を凝らしている。
 さて、今年はどうだろう。楽しみに思いながら玄関でスリッパに履き替えた。そして中に入り、目にした光景に息を呑んだ。

 なんと一階の廊下の全てが、道路のようになっている。廊下には、養生テープやビニールテープで中央分離帯や横断歩道が作られていた。
 制限時速や矢印も表現されている。そして両脇には、紙コップに赤、黄色、緑のセロファンを張った本格的な車両用の信号機と、四角い歩行者用の信号や、様々な道路標識が林立している。

 その圧倒的な光景に、妻と私は立ち尽くして見ていた。一つ一つの構造物の制作方法に、翔太のやり方が見て取れる。文字にも、息子の筆跡が確認できた。

 すると安東先生が、教室から出て来た。

「これ、すごいでしょう。翔太君の監督のもと、一組のみんなで作ったんです。彼がいると、クラスがまとまるんですよ」

 その言葉に涙が出た。先生は翔太の一番好きなこと、一番得意なことを取り上げて、他の子も巻き込んでくれていた。
 先生は成長の遅い翔太に、もしかしたらみんなのお荷物になっているかもしれない翔太に、敢えてスポットを当ててクラスのヒーローに仕立て上げてくれている。
 だから、翔太は学校に楽しく通えているのだろう。

「ステージ発表も、見て下さいね」

 先生は廊下に児童を並ばせ、体育館に向かった。我々も後に続いた。

 体育館では、それぞれの学年の歌や合奏や劇や踊りがあった。最後に安東先生と窪田先生と、一年生の児童がステージに上がった。ステージの下には二年生が並び、二人の先生はギターを持っている。
 ん?何が始まるんだ?

 安東先生がマイクを取った。

「キャー、安東先生―、カッコいいー!」

「窪田先生、サイコー!」

 前列に座って観ていた高学年の児童がキャーキャー叫び、指笛を鳴らす。前もって仕込まれたサクラだろうか。

「ありがとぅう!みんなー、準備はいいかーい?」

「イェーイ」

 全校生徒と父兄が叫ぶ。

「声が小さーい。もっと大きな声でー」

 安東先生が煽る。

「イェーイ」

「今日は、みなさんから募集した歌詞で、うちの小学校のテーマ曲を作ったので、歌いまーす」

「イェーイ」

「もっとー大きくー、もっともっとー」

「イェーイ」

「それじゃあ、いきますよー。ア、ワン、ア、ツー、ア、ワン、ツー、スリー、フォー」

 先生たちはギターを弾き、歌い出す。両脇の児童も手拍子をして、一緒に歌う。
 ステージの正面には、歌詞が映し出された。途中から会場のみんなも歌い、大合唱になった。
 元気が出るような、前向きな歌だった。

 翔太や修平君も、他の子どもたちも嬉しそうに歌っている。その姿を見ていると、こちらまで嬉しくなる。
 先生二人は、ノリノリだった。
 歌い終わると、大歓声と拍手の嵐に包まれた。そして拍手は、どんどん大きくなる。

「アンコール、アンコール」

 安東先生と窪田先生は、笑った。

「昼休み、短くなるよ。いいと?」

「イェーイ」

「教頭先生、大丈夫ですか?」

 教頭先生が頭の上で、大きな丸を作った。

「じゃあ、もう一回!」

 体育館は、ライブハウス状態だ。先生は二人とも気持ち良さそうに歌い、観客を虜にした。

 歌い終わると黄色い歓声が湧き上がり、保護者のお母さんたちまでキャーキャー言っている。その様子に、まんざらでもない様子の先生達。
 二人とも、あっという間にみんなの心を一つにしてしまうカリスマ性があった。


 ステージ発表が終わると、私は妻と職員室に挨拶に行った。私の入院では、沢山の先生が私にも妻にも温かい言葉を掛けて下さった。
 そして子供たちも学校中の先生にお世話になっているので、一言お礼を言いたかった。

 ドアを開けて職員室の中に入ってみて、またもや驚かされた。なんと職員室にいた先生方全員が、息子が牛乳パックで作ったメガネをかけて下さっていたのだ。

 校長先生までもが、四角い黒縁のメガネをかけて下さっている。しかもサイズが小さかったのか、少し斜めにずれて顔に食い込んでいるので笑ってしまった。 

「ああ、お父さん、お元気になられて良かったですね。子供さんたちも頑張っていましたよ。三人とも成長しましたね」

「いつもお世話になり、本当にありがとうございます。あ、これ、つまらないものですけど、どうぞ先生方でお召しあがりください」

 私は、校長先生に菓子折りを渡した。

「ご丁寧にありがとうございます。職員室のみんなで頂きますね」

 校長先生は、私たちを応接室に招き入れてくださった。

「翔太君も学校が好きになってくれて、こんな素敵なメガネを作ってくれたでしょう。私たちも、本当に嬉しいんですよ」

 先生の温かい言葉にぐっときた。妻も涙ぐんでいた。

 その時、ドアがノックされ教頭先生が、お茶を持って入ってきた。美人の教頭先生は、翔太の作った紫のメガネをかけている。それが、なかなか似合っていた。
 翔太は、それぞれの先生のイメージでメガネを作っていた。

「翔太君、私にも作ってくれたんですよ。このメガネをかけていないと、この学校ではモグリですからね」

 笑いながらお茶をテーブルに置き、教頭先生は退室した。

 それにしても、お茶目でノリがいい先生達だ。わざわざ妻と私のために、翔太のメガネをかけて見せて下さったのだ。何と粋な計らいだろう。

 校長先生はメガネをはずすと、私たちにいろんな話をして下さった。そのうちの話の一つは、今も私の胸に刻まれている。

「世の中には、嫌な事がいっぱいあるでしょう。ニュースを見ても、悲しいことや腹の立つことばっかりです。でもその嫌な毒から子供の心を守るのが、大人の役目なんですよ」

 校長先生は、翔太について直接は触れなかったが、息子を育てるための覚悟のような話をして下さった。

「大人は毒でも受け止めて強くなるけれど、子供には毒を解毒して薬に変えてから、与えてあげて下さいね」

「はい」

「誰にでも、毒を変化させて薬にする力があるんですよ。だから辛い事や理不尽なことがあっても、一度飲み込んで心の中で浄化させてから、子供に接して下さいね」

 校長先生の話は深かった。それは悩みながら子育てをしている私たちのことを、案じて下さった先生の優しさなのかもしれない。 

『毒』と『薬』というのは校長先生の独特な表現だが、私の様な薄汚れた大人は、無意識のうちに『毒』を垂れ流しているのかもしれない。
 正義感から発した言葉でも、相手への思いやりの心がなければ『毒』にしかならない。

 大人になると、そんな『毒』を受け入れたり、受け流したりしながら耐性を身につけていく。
 けれど全てをスポンジのように吸収する子どもや、子どものように純粋な心を持った人にとっては、ほんの些細な『毒』でも『猛毒』になってしまう。

 反対に暖かい視線と暖かい言葉は、人の心を癒す『薬』になる。お互いに相手の幸せを願って『薬』を生み出すならば、世の中はギスギスせずに、もっと住みやすくなるのだろう。 

 帰り道、校長先生の高尚な話に感銘を受けながらも、翔太のメガネをかけて下さるお茶目さを思い出すと、笑いが込み上げた。

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