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闇バイトがあるのに、光バイトは何故ないのか?

昨今、闇バイトが流行っているらしい。

SNSで、高時給とか、簡単とか、ホワイト案件とかで検索するらしい。

で、実際には、強盗をしたり、詐欺をしたりするときく。

SNSで、求人をみて、それに、応募するのは、若くて一見普通の若者だときく。

闇バイトをする勇気は、あるのに何故、アーティストを志さないのか。

アーティストは、闇バイトとはまるで真逆だ。真逆だが似ている部分がなくはない。

収入になるのには、途方もなく愛情と探求と鍛錬が必要とされる。

しかし、この世の中のだれか必ず必要としてくれる人にハマって買ってくれた時はお金以上の喜びを得れる。

仮に売れなくても貧乏でも、全く持って不幸せな画家などいないのだ。

そのたった1人のお客さんにとってその画家は、光でしかないのだ。

その絵がうちにあるだけで、早くウチに帰りたくなる。
日々仕事を頑張ろうと思える。
家族が集まる。
画家が葛藤し生きているだけで喜びなのだ。
成長を楽しみにできる。

とてもとても喜ばれる事もある。ビックリする価格で売れる事もある。

一方で売れない時に、似たような画家達と呑む酒も上手い。

絵描きは、光バイトなのだ。生き様なのだ。

絵描きは、上手く絵を描ける必要は、ない。

非常識が、常識なのだ。

個性が価値なのだ。

もしいじめられた経験や、不登校、クラスに馴染めない性格なら見てる風景が人とは異なるから有利であるともいえる。

芸術家は、劣等生が優等生なのだ。

学歴やキャリアや性別や国籍や、イケメン美人とかも関係がないのだ。

誰もできない仕方で好きだという事をキャンバスにぶつけれたらそれでいいのだ。

今はユニークな作品ならば、若いアーティストさんで年収3000万超える作家もいる。億を超える人さえいる。一方で赤字にしかならない者も大勢いる。が、皆思い思いに充実して生きているように感じる。

闇バイトは、将来性が塀の中で絶望しかないが、光のバイトは、キャンバスという白い枠に途方もない自由がある。自分がいなくなっても作品は残るのだ。

気軽な気持ちで強盗をする度胸があるなら、
気軽な気持ちで紙とペンを買ってきて何か書いてメルカリで売ってみ始めるのはどうだろう。

ルールは何でもありです。

そんな、事を思ってみた。

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