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「うちで過ごそう」の見出しを考える
4月26日の朝日新聞の1面の見出しを大阪版、東京版、名古屋版で比べてみると微妙に違っていた。
大阪版は「連休中 うちで過ごそう 各地の人出 大幅減」
東京版は「「さぁ連休 でも「うちで過ごそう」」
名古屋版は「さぁ連休 でも まばらな名駅」
一番「うちで過ごそう」と思うのは、大阪版ではないだろうか。「各地の人出 大幅減」という言葉が、多くの人は外に出かけていない、という社会規範メッセージになっているだけではなく、出かけることはあまり魅力的ではない、ということを暗黙のうちに伝えている。それよりも、連休中はうちで過ごすことが楽しい、と思わせる。
一方、東京版は、「さぁ連休」で楽しく出かける連休がやってきた、と説明して、読者に出かけて楽しい連休を連想させる。ところが「 でも」で、それは無理だから「うちで過ごそう」と呼びかけている。読者の残念な気持ちに寄り添っているとは言える。しかし、読者にとってみたら「楽しい連休を我慢してうちで過ごすのか」となってうちにいる意欲が削がれてしまう。暗黙のうちに比較対象が「外に出かけるはずの楽しい連休」になっているからだ。
名古屋版は、東京版に似ているが、「でも まばらな名駅」となっているので、みんなが家にいるという社会規範を暗示させて、外に出かけても楽しくないことも意味している。それよりも「うちで過ごす」ことが楽しいと、示している。
似たような見出しだけれども、この見出しを考えた人は、少しずつ異なるメッセージを伝えたかったことがわかる。大阪版の担当者は、新型コロナ感染対策で人との接触を減らして欲しいと読者に伝えたかった。名古屋版もそうだ。東京版も同じようにみえて、せっかくの連休なのに、うちで過ごすことはつらいだろうけれど、我慢して欲しい、というスタンスだ。
それぞれ一理ある。しかし、新型コロナウイルス感染対策として人との接触を減らすという行動変容のための見出しとしては、大阪版が一番いいと思う。ちょっとしたことだけれど、人々の行動はそれで変わることもある。