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「わたしのために祈って」


 子どもを産むなら、食事の美味しい産院がよかった。結婚して二年、毎日じぶんでご飯を作らなきゃいけないことに、飽き飽きしていた。

 それから個室。大部屋で眠れる気はしなかった。わたしが選んだ産院は、お部屋にシャワーがついていて、アメニティはロクシタンで揃えられていた。あたらしそうで、雰囲気のよい病院。いいじゃん、ここにしよ。

 自然派の産院だった。予約をしにいったとき、なんども確認された。お産は自然の流れにそってすること、帝王切開など、手に負えない状態になったら、搬送されることもあること。大丈夫ですね? イヤなら大きな病院に行きなさい。ここで産むんだと思い込んでいたから、ハイハイと首を縦にふりつづけた。

 産んでみて分かったことだけど、そこは赤ちゃんに優しい産院だった。赤ちゃんに、やさしい産院。新米のお母さんは、軍隊の調練場に迷いこんだ気分がした。完全母乳をめざして、朝夜関係なく訓練される、ブートキャンプ。

 ロクシタンのシャンプーも、何晩も眠れずに、産後すぐから赤ちゃんの面倒を見ている、骨盤ががたがたで、出血の止まないお母さんには、なんの慰めにもならなかった。ご飯も。そんなの楽しむ余裕なんかなかった。軍隊のくせに、ご飯だけいいのね、ここは海自の潜水艦かなにか?

 なにもわからないお母さんは、昼夜交代する助産師さんのアドバイスに、ふりまわされてばかりいた。ひとりひとりの言葉を、法律みたいに受け取って、成果を出したとおもったら、助産師は交代してしまい、こんどはまったく別のことを言われる……

 真夜中に、何度もナースコールを押した。疲れきっていた。あきらかに思い詰めているお母さんに、すこし年配の助産師さんが、「動物になった気分で育ててごらんなさいよ」と言った。たぶん、もっと気をおおらかにして、どおおんと自然に任せるつもりになりなさい、という意味だった。あまりに疲れていて、意味が分からなかった。どんな言葉も、通じそうになかった。

 ひとりきりだった。ほんとは分かっていた。お母さんに必要なのは、だれかに祈ってもらうことだって。「わたしのために祈って」とひとこと言えさえすれば。でも半日ごとに交代する助産師さんたちは、神さまを知らない。神さまを知らないひとたちに囲まれて、その言葉にふりまわされて。限界が来て、お母さんは泣きながら、じぶんのお母さんに電話を掛けた。

 「わたしのために祈って」

 お母さんのお母さんは、すぐ来てくれた。里帰りの世話で疲れたから、この一週間は休暇をとらせてもらう、と言っていたのに。お母さんのお母さんは、赤ちゃんを嬉しそうに抱きあげながら、ちいさな声で、ヘブライ語の賛美のうたを歌ってくれた。部屋のなかに、光があふれたみたいな気がした。祈ってくれるひとのもたらす平安みたいなもの。当たり前のように享受していたものの、とうとさを悟った。



 あれから随分遠くまで来たなあ、と思いかえす。よくあれを生き延びたなあ、というような新生児期に、幼児期に、イヤイヤ期に。神さまはすこしずつわたしを癒してくださって、お母さんであることも、わたしであることも、子どもと暮らすことも、だんだんと、生えてきたみたいに、付け焼き刃ではなく、心から自然に、生きられるようになってきた。もがいて、もがいて、それでやっと、これがわたしです、と言えるようになってきた。

 産院も、大変だったけど、いいところだった。教えてもらった呼吸法は、痛みを逃すのにとてもよくて、歯医者に行ったり、下痢をしたときなんかにも使っている。厳しくしてもらったのも、結局わたしには善いことだった。あのときは、とにかく辛かったけど。

 このあいだ、神さまを知らないひとたちのなかで、「わたしのために祈って」と言えない哀しさをふたたび味わった。それで家に帰って、教会の友だちにメールして頼んだ。そしたら答えが返ってきた。

 「シャローム、シャローム、シスター。
主があなたと共にいる。
神さまが豊かに祝福してくださいますように。
あなたと家族のために祈ってるよ。
すべてはだいじょうぶ」

 主がわたしと共にいる。すべてはだいじょうぶ。主が共にいるから……

 わたしのために祈ってくれる友だちのみんなに、ありがとう。わたしのために、あかるい歌をうたってくれて、ありがとう。わたしは、信じます。すべて大丈夫だって。一瞬々々、必ず主がわたしと共にいてくださって、守って、導いてくださるって。わたしは信じます。わたしは感謝します。わたしは歓びます。わたしのために祈ってくれて、ありがとう。


 

 


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