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永遠の凪 (短編)



*この小説は作り話であり、実際の団体や人物とはなんの関係もありません*


  《the Eternal Calm》


 歌。いささか外れたソプラノが、夏の夕暮れに揺らいでる。高い木々のそよぐ、広い庭の蝉たちに紛れてしまいそうな、泣き明かしたあとの、絶え絶えの声。古い屋敷の、曲がりくねった廊下の一角に立ちながら、ぼくは、もっと近くへ、その音が漏れてくる座敷のなかを窺おうと、薄明かりの廊下を忍んだ。

 ぼくの教会の副牧師が殺された。もう一週間になるだろうか、夏祭りの宵、ナイフを持った男に刺されて。みずから死にに行ったようなものだった。群衆に刃を向けた男に、偶然居合わせた彼はわざわざその身を差し出して、たったひとりで犠牲になった。

 悲しかったのかもわからない。ただ息を呑んだ。あのひとの覚悟の鮮烈さに。病院で奥さんに看取られながら、「生きるのはキリスト、死ぬのは利益です」と呟いて去ったという鮮やかさに、息が止まったような感覚がした。

 信州松本の旧家に生まれて、アメリカに留学していたときに洗礼を受けたひと。キリストに救われ、聖霊のバプテスマを受けたからには、仏壇を拝む訳にはいかない、と江戸時代に庄屋をしていた何百年も続く家の仏壇を処分してしまって、本家の当主なのに、親戚一同から絶縁されていたひと。キリストキチガイと陰口を叩かれていたひと。

 退路を断たれた彼は、お城からもそれほど遠くない場所にある、立派な門塀がどこまでも続く豪壮な先祖代々の屋敷を、教会として開放した。ぼくがこの教会に通うようになって、もう十年以上経つ。ずっと傍で見ていた。だからぼくは言える、真木さんは確かにキリストキチガイだったと。真木和泉、享年五十二歳。
 
 歌声はかすかでよく聞こえなかったから、そっと襖に隙き間を作った。漆塗りの縁のあいだから、座敷のなかのはりつめた冷たい空気が鼻先をうつ。怒られるかもしれないけれど、なんだか聞き覚えのある歌だったから。そう、あれはぼくが歌った曲。もう五六年前に、誰かの曲を真木さんが訳して、「久米くん良い声してるんだから、代わりに歌ってくれよ」とぼくが歌わされた。真木さんらしくて暗い曲ですね、というと小突かれた。

 よくあんな歌を覚えていたものだ。あのあと二三度日曜日に歌って、それから真木さんもぼくもそんな歌は忘れていた。「歌の翻訳はこりごり、からきし駄目だった」と言って、彼はそれ以上曲を手掛けることはなかった。

悲しみも痛みもなにも
賛美を止められない
涙の流れるほど
賛美はあふれだす

わが心は歌う
この苦しみのなか
この賛美を止められるものなどない
主に捧ぐ 砕けた心

 わずかに空いた隙間から見える。白い棺のなかに、真木さんの遺体が寝ている。事件のあと、検死解剖のためにずっと警察にいて、いつ帰ってくるともしれなかった。ようやく戻ってきた体には、特別な処置が施されていて、あんなふうに殺されたひととは思えないほど綺麗で滑らかだった。エンバーミングという、海外では一般的な処置らしく、アメリカ人のパウロ牧師がそうするように言ったらしい。

 遺体は体液が抜かれて、防腐剤が注ぎこまれている。だからまるで眠っているように見えるし、触ったって安全だ。棺に寄り添いながら、未亡人になった八枝さんが死んだ夫の手をじぶんの頬に宛てがっている。遺体が帰って来てから、彼女はこの部屋を離れようとしない。明日の葬儀のあと、遺体は焼かなくてはならないのだが、ぼくたちはそれを言い出すことが出来ない。サティー婦女殉死でもしかねないわ、と呟いたその従姉の灯さんに、イオンの前身ですか、と聞き返すと鼻で嗤われた。

キリストの愛よりわれを
引き離すことは出来ぬ
死ぬことも生きることも
深きも高きでも

キリストのみうでに
抱きしめられて
われは歌う、この賛美を、
いとしさを、この愛を

 かすれた声でそう歌う八枝さんは、本当は目も宛てられないくらいに窶れていたけれど、白い毛布にくるまれて、まるで天使のように見えた。真木さんが亡くなったとき、彼女はほとんど正気を失ってしまった。八枝さんがあれほど取り乱したのは、すこし意外でもあった。ふたりはどちらかといえば淡々とした夫婦で、子どもはなかったし、彼女には夫を亡くしても一生困らないだけの財産があった。

 八枝さんを見るときだけ、真木さんの死は悲しくなる。淡々と永遠の凪へ去ってしまった彼の行為が、独善的だったのではないかと思いそうになる。いままさに嵐に揉まれている彼女を、置いてきぼりにした彼が恨めしい気になる。

 虚ろな座敷に、白い棺とふたりきりで、八枝さんが歌っている。その声に嘘はなかった。数時間前見たときには、死んでしまいたい、と繰り返し呟いていたひとが、いまこの瞬間、濡れた瞳に勝利を輝かせて、キリストの愛を確信しながら歌っている。

 どうして、とぼくは分かっているのに問いたくなった。どうしてあなたはこんな時に歌えるの。分かっている、これはほんの一瞬の凪だ。きっとまた彼女は死にたいと言うだろうし、明日の火葬場でもひと悶着あるだろう。だけれどもこの瞬間、彼女は賛美している。夫を殺されたばかりのひとにしか出来ない、生々しい賛美を、キリストに捧げている。

 天使なんかじゃなかった。天使にこんな賛美は出来ない。苦しみを持って贖った、血の流れるような力強い賛美は。天使は罪を犯したこともなければ、人生を生きたこともないのだから。それでも、それでもあなたを愛します、と神にささやくことも出来ないのだから。

 堪えきれなくて、ぼくは襖を開けて部屋に入った。八枝さんはこちらを向いて、まぶたを開こうと、泣き腫らした目を擦った。その隣に、いまは永遠の凪のなかにいる真木さんの脱け殻が横たわっている。灰色の麻のスーツを着て、やさしい表情を浮かべている。羨ましいな、とぼくも思った。死にたいと呟く八枝さんを叱ったぼくだというのに。こちら側に残されたぼくたちは、吹き荒ぶ嵐の海を揺られているのだから。

 「ご用ですか?」

 賛美を邪魔された八枝さんは、不快そうな顔をそのままに言った。自宅を教会として開放している彼女には、プライバシーなど無いも等しかった。愛おしそうに死者の手を両手で包んでいる彼女に、ぼくはそっとかぶりを振って目を落とした。何か言おうと思ったが、何も言えはしなかった。

 しずかに棺に近づいて、真木さんのシャツに包まれた腹の辺りを触れてみた。刺されたのは確かこの辺りだった筈だ。久米くんやめろよ、気持ち悪いだろ、と頭のなかで真木さんが言った。棺の反対側で八枝さんも、いかにも怪訝そうに、気持ち悪そうな顔をして、ぼくのことを眺めていた。

 


↑真木さん(わたし)が訳したという誰か(フェド牧師)の曲。久米さんが歌って、日本語で録音してくれたらいいのに。



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