山椒のような。稲妻のような。
思考に口が追いつかないことが多々ある。
頭の中ではあれこれ考えているのに、それを適切に表現する言葉が思い浮かばない。
深い脳の底には形にならなかったものたちがたくさん沈んでいるだろう。
別に形にしたからといってどうということはないのだけれど。
ぼやけた輪郭をくっきりさせるだけの語彙力と表現力は培っていかなければならないなと感じる。
そのためにも、とりあえず手を動かし、キーボードを叩き、縦横無尽にフリック入力をしてなんとか形にしていく。僕にとってnoteはそのトレーニングの場なのだ。
職業柄言葉にはたくさん触れている。
気に入った表現は、貯蓄としてメモしたり、言い回しを変えたりすることができないか探したりする。
比喩表現はまさにその人の個性が現れると思う。
僕の貯蓄メモにはいろんな人の比喩表現が並んでいる。
小説家、お笑い芸人、タレント…
ここで最近痺れた(衝撃を受けたときは痺れたというようにしている)比喩を一つ紹介しておこう。
「水溶き片栗粉みたいな、あんかけみたいな、眠り。」
これはくどうれいんさんの『日記の練習』に書いてあったもの。
泥のように例えられる眠りを、あんかけに置き換えることで、眠りというものが透き通っていて柔らかくかつ温かみのある印象になっている。
こんなの素晴らしすぎるでしょう。もう二度と眠りを泥のように喩えることができない体になってしまった。(本当に疲れているときはわからないけど)
いつか自分も人を痺れさせるような比喩を考えつきたい。
じわじわと後を引くような。一瞬で体を突き抜けるような。