~つなぐ② miiさん~
誰もが活き活きと暮らし自己実現できる世の中へ。
そんな活動をされている方の想いを世に発信する為の
インタビューコラム、「つなぐ」。
第二回は、過敏性腸症候群を抱えながらも、
インターネットラジオを通して
「癒しと自分らしく輝くためのエネルギーを届ける」
活動をされているmiiさんをゲストにお招きしました。
-Fodyou
本日はお忙しいところお時間をいただきまして、ありがとうございます。
そして、先日はmiiさんのラジオへのゲスト出演のお声がけをいただき
ありがとうございました。
今日はラジオでの発信を始められた背景や、miiさんの生い立ちについて
インタビュー出来ればと思います。宜しくお願い致します。
mii 「宜しくお願い致します。」
1.過敏性腸症候群の発症
-まずmiiさんの生い立ちについて訊かせていただきます。
長年、過敏性腸症候群を抱えていらっしゃると伺っていますが、
発症されたのはいつでしょうか?
mii 「中学3年生です。高校受験を間近に控えていた時でした。
もともと私は心配性で緊張しやすい性格だったのですが、
当時はとにかく受験の事が不安で心配で。塾も2つ掛け持ちしていました。食事はもともと自宅で家族がつくった手料理を摂る事が多かったですが、
その時期は外食やコンビニ弁当で済ますことが多くなりました。
このように生活の変化が大きかったからでしょうか。
ある日突然、今まで経験したことが無いガス症状が出ました。
『明日にはきっと元通りになっているはず』
とその日は思いましたが、翌日以降も症状が続きました。
本当に困惑しました。
そのような中でもなんとか受験を乗り越え、春休みに入りました。
しかし春休みを経ても、症状は改善しませんでした。
そして高校生活がスタートしましたが、新生活の緊張の為か、症状が酷くなっていきました。
2.本当につらかった高校時代
mii「ある日の事です。仲の良い友達に
『教室、くさいよね。感じない?』
と言われて。私がにおう事を遠回しに言っているのではなく、純粋にそう訊いてきたのだと
思っていますが、さすがにそれがショックで。
そして、その日に初めて自分の症状について母親に相談しました。
でも、母親から返ってきた言葉はこうでした。
『気のせいでしょう?』と。
勇気を振り絞って悩みを打ち明けたのに、
最も私の味方になってくれそうな人、最も味方になって欲しい人に理解を得られなかった。それがすごくショックで。その時に私はこう思ったのです。
『ああ、これは誰にも相談しちゃいけない事なのだ。
隠さなきゃいけない事なのだ。』と。
ただ、病院には行かせてくれました。
そこでIBSと診断されました。
医師に薬を処方いただきましたが、服用しても症状は改善しませんでした。
病院を変えてみたりもしましたが、状況は好転しませんでした。
症状自体のつらさは高校1年~2年生の時がピークでした。
それでもなんとか頑張って、『普通の学生』っぽく、周りには見せられていたと思います。
不幸中の幸いで、ガス症状のせいで周りから仲間外れにされて孤立する、
等ということは無かったです。
それでも保健室に行きたくても我慢したり、体調が悪くて学校を休みたくても頑張って学校にいったり。私が教室にいない時に教室ににおいがせず、私がいるときににおいがしたら、このにおいは私のせいだと特定されてしまうかもしれないではないですか。そうなる事を本当に恐れていて。
当時は本当に辛かった。家ではよく泣いていました。
「高校を辞めたら、人生終わり」と思い詰めていて。
今思い返せば、「高校辞めたら人生終わり」なんて事はないのですけどね。
ただ当時は見えている世界が狭く社会的知識も乏しかったので。
3.一歩、前に踏み出した瞬間
―他のIBSの方のお話を聞いても、「ありのままの自分でいられない」事や「周りが受け入れてくれない」事を辛かった経験として語る方が
少なくありません。本当にお辛い経験をされたのだと、思います。
でも今はその辛さを乗り越える事が出来ているのだとお見受けします。
乗り越える事が出来た、或いは、自分の中で何かが変わった、
その明確なきっかけはありますでしょうか?
mii 「あります。大学4年生の時でした。就職活動を終えて
大学卒業までの間にカナダへ一人でバックパック旅行に出かけました。
その旅行体験で、自分の人生が大きく変わりました。
先程申し上げた通り、もともと私は心配性で。ですから
『一人で海外行ってみたいな・・・』
とは当時ずっと思っていたのですがその一方で
『でもこんな自分には無理かな…』
という自分もいて。
当時の自分は、『自分がやりたいことを我慢する』人生でした。
就職活動も、第一志望の企業から内定をもらえていました。
でもIBSを抱えながらその企業様で働くのは不安があり、
内定を辞退する苦渋の決断もしました。
当時は日々、こう思いながら過ごしていました。
『自分以外の誰かの人生を生きたかった。』
と。
英語もろくにできないので心配や不安も大きかったですが、その時は一念発起して、カナダに行くことにしたのです。
「もう、行きの飛行機が墜落してもいい」
そのくらいに、本当にやりたいことに一度も挑戦せずに
人生終わってしまうほうが後悔すると思って。
どんなに症状が出ても知っている人もいないし、何か言われていたとしても
英語だから分からない。だから症状の心配をする必要もなくて、
心から楽しい時間を過ごすことができました。
周りに気を遣う必要もない。旅の道中、小さなトラブルは沢山ありました。例えば予約した宿が、1時間歩かないとたどり着けない場所にあった、
ですとか(笑)。
他にも色々ありましたが、そういうハプニングでさえも楽しいと思えたし、
意外と何とかなって。
この「何とかなった」という経験は大きな自信になりましたし、
何よりも本当に楽しくて。
その楽しい体験を通して
『やっぱり自分の人生を楽しみたい!自分の人生を生きたい!』
と強く思うようになりました。
『一歩前に踏み出して、よかった』と。
―カナダに行ったことにより大きく人生が変わったのですね。重いバックパックを担いで1時間歩くのが『楽しい』と思えるのは、相当だと思います(笑)。
ただ今のお話を聴いていての私が受けた印象ですが、カナダに行くか、行かないか。
言い換えれば、一歩前に踏み出すか、踏み出さないか。
これが紙一重だったようにも思えます。
その中、一歩前に踏み出す行動をとれた。
そこには何か明確なきっかけはありましたか?
mii 「当時好きなロックアーティストがいて、そのライブを観に行った事がありました。
その際、そのアーティストがMCでこう叫んでいたのです。
『人生は一回きりだって、わかっているか!?』
と。
本当にその言葉が私の心に刺さりました。そして、
「一回切りの人生なのに、やりたいことに一度も挑戦しなかったら後悔する」
と強い気持ちをもてるようにもなったのです。
今の私があるのも、その『推し』のおかげの部分も少なくないかも知れませんね(笑)。
4.ゆめのたね放送局でのラジオを始めたきっかけ
―さて、ここからはmiiさんがされている活動について、お話を聴ければと思います。
ゆめのたね放送局で番組を持ち発信をされていますが(*今はmiiさんがご多忙の為番組を一旦休止しています)、この活動はなぜ始められたのでしょうか?
mii 「過敏性腸症候群の患者団体である 『IBS Place』さんでご縁があって、
コラムを書く機会をいただいた事が、発信活動の一歩目でした。
当時、IBSに関する事を自ら発信している方がいる、というのが私にとっては
大きな衝撃だったです。
何故なら、自分にとってIBSは
『隠したい、他人に知られたくない、病気』
だったので。
『発信することが、誰かを救うことになるから』という考え方が、
凄いな、と。
私の場合、症状自体の辛さより孤独感の方が辛かったです。
そして私が最もつらかった学生の時に、IBS Placeみたいな場所があったら、
心の持ちようが全然違ったはずだ、と。
そして、自分が苦しんだ経験を発信することで誰かを救うことが出来るのではないか?と思うようになりました。
―その中でインターネットラジオである「ゆめのたね放送局」を発信の媒体として選ばれた理由は何でしょうか?
mii「現代はSNSツールを通じて『文字』での発信が誰でも気軽に出来る時代です。
でも、IBSの何が辛いのか?その辛さの『リアル感』というのでしょうか。
それが文字だけだと伝わりきらないのでは?と感じていて。
文字ではなく『声』にのせて想いを届ける事が出来る、ラジオという媒体が良いのではないかと思いました。
ゆめのたね放送局での発信は無料ではなく、番組枠を購入する形になります。
ただ想いを発信するだけなら、いわゆるライブ配信アプリで事足りるのかも知れません。ただ、ゆめのたね放送局は、放送局を立ち上げた方自身が「人とのご縁」「人との信頼」をとても大事にされています。そのポリシーにとても共感しましたし、この媒体なら、リスナーの皆様が私に対しても信頼感をもって耳を傾けてくれるのではないかなと。そして、信頼されることにより、意味のある発信が出来るのではないかなと。また、色んなジャンルで「自分らしく生きる」を発信されているパーソナリティの方が多い事もゆめのたね放送局を選んだ理由の一つでもあります。
5.今後の活動について
―最後にmiiさんが今後行っていきたい活動、夢がありましたら教えてください。
mii「私の人生の最大の目標である『自分らしく生きる』を発信していきたいです。今は仕事が多忙な時期に入った為ゆめのたね放送局の番組も一旦休止させていただいているのですが、仕事が落ち着いたらまた再開する予定です。
そして、アーユルヴェーダの勉強と、啓蒙に関する活動もやって行けたらと思っています。私自身のIBSの症状の改善に「これは」というものになかなか出会えなかったのですが、アーユルヴェーダを取り入れてから、完治とまではいかないものの症状が軽くなりました。IBSの治療法には様々あると聞いています。そして、病院で処方された薬が自身に合った方。食事療法が合った方。サプリメントが合った方。鍼治療が合った方。などなど。
様々いらっしゃるかと思います。
アーユルヴェーダは心身のバランス・調和を重視する考え方に基づくものですが、私には、それが合っていたようです。「自分に合ったから、他の罹患者にも必ず合う」とは勿論考えていませんが、もっとアーユルヴェーダを取り入れる方が増えても良いのかなと思っています。
6.後記
症状が辛かった時に「自分以外の誰かの人生を行きたかった」と思っていたmiiさん。
それが一人旅をきっかけに人生観が変わり、「癒しと自分らしく輝くためのエネルギーを届ける」活動をされるまでになった。
多くの方が勇気づけられるお話だったと思います。
インタビュー当日は長時間お付き合いいただき、ありがとうございました!