人の死のとらえ方
タイトルがすごく、ネガティブ的なことになりますが
念のためお話します。
父親と母親は現在存命です。
このタイトルにしたのは、自分の人生で
誰かの死を近くで感じるのが多かったのが、去年の2020年だったので
それを受けて自分がどう思ったのかを整理することにしました。
若い人の死
一人は、現在の派遣先で2年前に一緒に仕事をしていたときの営業を担当していたの女性。
まだ、その方は新卒2年目で若く
当時、訃報の連絡がメールできた時は状況がまったく理解できませんでした。
若い人の死は初めてだったし、関わったのはプロジェクトがスタートし始めたときの飲みの席。そのときは楽しくお酒を飲んでいたなという記憶
持病があるわけでもなかったのに、なぜという気持ちが大きくありました。
今まで、親戚やじいちゃん、ばあちゃんは経験していますが、一緒に仕事をしたことのある人というのは初めてのパターン。
その日は一日仕事がまったく手が付けられずに一日が終わった記憶がありました。
これは悲しいパターンだと思います。
本来平均年齢というものがあって、60ぐらいまで生きるのが当たり前だよねと言われている時代に、四半世紀ほどの人生しか生きることができなかった。
ですが、もう一つ、今度は自業自得のパターンがあります。
常連さんの死
これは、立ち飲み屋で知り合った常連さん。
常に酒の量が尋常じゃなく、その影響で肝硬変になって入院、足も恐ろしいくらいにはれ上がって、お医者さんからは
「酒を飲んだら死ぬよ」
と言われているのにもかかわらず、その言葉を無視して酒を飲む。
(お店は飲ませたら殺してしまう可能性があるので出禁にしていました。)
そしたら、去年の12月に逝ってしまった。
その人は52とかだったかな。
自分も飲み屋で、関わりがあったのでお通夜に行って、香典をもって
御焼香をやったのですが、その時の感情ははっきり覚えています。
「自業自得!!馬鹿すぎで涙も出ない」
棺桶の中の表情とかみるんだけど、まったく悲しみの感情が出てこない。
こんな涙も悲しみも出てこない人の死は初めてでした。
二人の死の違い
二人のパターンですが、結果として死んでしまったことは同じです。
ですが、
「自分の寿命を全うしたのか、自分の寿命を自分で縮めたのか。」
病気や、交通事故、不慮の事故は回避することはできないことですが、
自分で防ぐことができたことを無視して、結果として死を迎えるのは
逝った本人も後悔だし、残された人間もあきれてしまう。
常連さんのような死に方は、今自分が故意に寿命を縮める行為をしていないかを改めるきっかけになるし、若い人の死は、今自分が生きていることが当たり前じゃないことを教えてくれる。
同じ死でも、与える意味はまったく違う。
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