過去のお話_言語化能力が低い自分
有給休暇を取得したけれど、もう一日が終わってしまう。
と嘆いている今日この頃です。
せっかくの有給休暇しっかりと体をやすませることができたし、まだ本調子には時間がかかるなと実感。午後急に体のだるさがあり昼寝をしました。明日からまた土日を目標に頑張って適当に仕事します。
そんなこんなで、せっかくの有給なのでもうひとつ記事を投稿しようと思います。
みなさんは、「言葉の教室」というのをご存じでしょうか?
全国にあるとは思うのですが、自分が幼少期の頃は、自分の感情を言葉に表す、発することがとても苦手だったし、積極的な人間ではありませんでした。
両親がそれを心配したため、小学校1年生から4年生くらいの間
(正確にそのくらいの期間だったかは定かではない。)
地元にある「言葉の教室」に通っていたことがあります。
でも、特に何をやったのかということに関しては記憶があまりになく、なんとなく普通の人とは少し違うんだなというのがありました。
言葉を発するのが苦手だったので、言葉を覚えたりすることも苦手で、中学校からの国語のテストは一番苦手でした。小学校はなんとかなっていましたが、学校の中間テストとか期末テストでは最高で60点、30点台とか40点台とか、びっくりするくらいに低い・・・。社会とかも苦手だったな・・・。
なので、高校も大学も、現代文は苦手だったし、いい大学もいけなかったです。
そんな自分が今、文章を構成を考え、書いて投稿しているわけですから不思議なことです。
今でも、仕事の人の話を一発で全部理解するのは非常に苦手ですし、言葉の意図をくみ取ることを非常に苦手ととらえていました。
そんな、中学、高校時代を過ごしてきたので、気が付いたら自分自身で限界を決めていた部分はありました。就活もエントリーシートを書いたり、志望動機を考えたりするのは非常に苦手だったし、失敗したら、自分はそういう言葉をうまく言語化する能力が低いという感じで逃げていました。
でも、現代は甘い世界じゃありません。
言葉ひとつで、(twitterなどで)炎上する時代。
そんな時代で、自分は言語化能力が低いのは非常に致命的だと思っています。でも、それを言い訳にしていたら、手に入るものも手に入らないし、怖がっていたら何も始まらない。
だから、たくさんの言葉であふれかえっている時代に、表現することを始めている自分の成長に少し驚いています。
「言葉の教室」すごく懐かしい思い出です。
言語化能力が低くても、できない理由にはならないから。
foagura