挑戦に必要な絶対条件? 2021年最後のnote投稿
今年最後の投稿になります、歳をとるたびに一年の短さと人生のタイムリミットをすごく実感する。
今日も、記事を見つけていただきありがとうございます。
気が付けば今年も最後の一日。でも、note書いたり、twitter書いたり、大掃除したり、今後の自分のための書籍を購入したり、休みの時に何をするか考えたりと
やりたいことがありすぎて時間が足りない!!
それを強く感じた一年でした。そして今日も感じております。
note投稿を始めたのは半年前ですが、気が付けばあっという間でした。
読んでいただいた皆様のおかげて、今年一年締めくくることができたと実感しております。
本当にありがとうございました。
今日は、挑戦する際に必要不可欠な条件についてお話ししようと思います。
✅明日死んだら・・・後悔だらけ
ある質問をさせてください。
「明日死ぬことがわかっていたら、自分の人生に後悔はないか?」
もちろん、明日死ぬわけではないしお医者さんからあと一日で死にますと言われれるわけがないのでたらればとしてください。
ですが、自分の人生を過去からずっとさかのぼって考えたときに、自分の答えは以下です。
「後悔だらけ」
これを感じるようになったのは二つの出来事が関係しています
・身近な人の死
・一日の非充実感が多くなった。
身近な人の死は、去年2020年が本当に多かった。
若い人の死と己の不摂生で寿命を縮めた死と極端な例を見て、とても思うことがありました。
そして、一日の非充実感が多くなった。
言い換えれば、一日を短いと感じるようになったことです。
今年はびっくりするくらいあっという間に感じています。
どこかで一日を濃密に過ごしていないのではないかと疑問に思うことが多々あったからです。
上記二つの出来事を感じるようになったときに
「こんな感じで明日死ぬと宣告されたら、やりたいことがまだまだ残っているから後悔だらけ。」
と思うようになりました。
✅身近な人の死は、命の有難みを再認識する。
一日の短さはたくさん挑戦することて多分ですが、何とかなると思われます。一日が濃密になるからです。(やることは多すぎるけど・・・)
ですが、挑戦すること以上に大事にしないとダメだなと再認識させられたことがあります。
健康
言い換えれば寿命ですが、伸ばすこともできれば縮めることもできる。
だけど、その長さは誰にも見えない。これが怖さにもなります。
見えないからこそ、人は軽視してしまいがち。
よく行く飲み屋の常連さんが肝硬変の悪化でぽっくり逝ってしまったのがちょうど一年前。コロナ禍の影響もあってか外で飲む回数は極端に減りましたが、飲みを減らした背景はこれも関係しています。
そして、その飲む時間をnote・twitterに充てる選択のきっかけにもなっています。
挑戦ができるのは寿命があるからこそ。
自分はもう少しで40を迎えてしまいますが、体の弊害は大きく出ています。
・お酒が弱くなった(少量で二日酔いみたいになる)
・20代で食べていた量が食べれない
・怪我しやすい
・体重も増えた
・疲れやすくなった
本当は20代の時のような体力がほしいですが、それは戻ってきません。そこは、今年を考えて大切だったなと感じる後悔の一つです。
沢山挑戦したいことがあったとしても、体をベストコンディションにし続けることが難しい。
挑戦する時間を作るためには、自分の体が正常であり続けることが前提。
今年は、これを痛感した年になりました。
✅まとめ
今挑戦をする際に大切なことについてお話しさせていただきました。
自分はまだまだ挑戦が足りていません。20代でやっておけばなと思いますが、そもそも20代の頃に仮想通貨は生まれていなかったし、時代の流れで仕方がないと割り切るしかないです。
残された時間を意識すると、たくさんのやりたいことが頭の中に浮かび上がってきます。でもそれは人間でいるからこそできること。
2022年、noteを書ける未来を信じて今日は早めに寝ようと思います。
皆様、今年一年記事を読んでいただき、ありがとうございました。
そして、よいお年をお迎えください。
挑戦することは、生きている証です。
ふぉあぐら