お兄ちゃんと呼ばれる
私は一応、長男なので、弟、妹がいる。この二人は、またかわいいので、二人と一緒に生活ができなくなってしまうのであれば、きっと二人は、風呂掃除係が自分たちに移ってきてしまうので、きっと悲しむことだろう。僕の存在意義は、日常生活のお風呂掃除程度である。きっとそうだ。
一応、長男なのだが、これがよくない。新潟県は「長男とスギは育たない」というのは一部でよく言われている。これは、スギは日照時間が少ないなどという理由で伸びないのかもしれない。検証不足だ。
長男のほうは、実体験である。育たない。
甘やかされてしまうからだ。甘えることができる環境というのは、おいしい。誰かに頼れば自分の願望がかなえられてしまうのだ。しかも、生まれた順番でこの待遇になるのだ。自分の努力は生きるだけというのだ。うまい話だ。
長男に対抗して、長女はどうだろうか。長女には、しっかりとしている。何分、おねえちゃんなのだ(おねえちゃんという響きは、後世に残したい美しい言葉の一つだと思う)これによって、妹分、弟分をまとめないといけない。結局、しっかり者なのである。
僕のような長男は、あまり自慢するべきではないし、実に反面教師にしてほしい存在だ。自分自身、都会ではない山のほうの街なので、開発はされているとはいえ、古い考え方だ。父親が中心、その次になるであろう長男はうまいことヨイショされてしまう。
うまい立場だなぁ、とは思いつつも、このままだとだめだなぁとは思っている。卒業後の進路、就職先は、県外など外の環境を考えていたのは、それも一因している。これまではうまいこと生活してきた、しかし、これからはどうだろうか。私には、自信がない。
僕は有能とは思っていないけれど、低能とは思っていない。心は広いけれど、気が短い。まったくもって、損な性格だなぁと思います。「なんでそんな性格なの」と友人から飲み会の席で言われた。まあ、一対一の飲み会なので困ることはないのだが、私は私なのだ。仕方ない。
周りに協力しないのではなく、周りの人がやっていることに品性がなかったりすると、見ていてげんなりしてしまう。これは、人一倍こだわりが強いのかもしれない。とはいいつつも、自分としてはこだわりなく問題には解決に向けて取り組みたいとは思っているのだ。ここで注目しないといけないのは、自分が思っている気品あるもの、気品があるものに興味もないのだ。
いやならばやめろ、めんどうならつづけろ、という標榜がある。自分だけのルールというか、目標。自分が自分をいやと思っていないから、かえるつもりがないですし、この性格や甘さが面倒臭くなってきたら、そのうち変わることでしょう。その日はいつかなるか。
おたのしみは、これからだなぁ。と思う12月の年の瀬でした。たぶん、ここ2年間は変わってねー感じです。20歳が、一つの基準でしたねぇ。後輩には、必死に20歳までに頑張ってほしいです。僕も25歳まで区切りのいいところまで頑張ろうと思います。そして、お誕生日おめでとう。
めっちゃくそポエム書いた気分です。うわーうわー、これを読んだ人は、次あった時に、「お兄ちゃん」って言ってください。先輩、後輩、同級生かかわらず、よろしくお願いします。くだらない駄文でした。