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雑念

 深夜ではないが、書きたくなったので。現在「私のフリーランスの歩み」で時々エッセイを書いているのだが、人の事を言えないと思いつつふと思っている事がある。

 フリーランスの事を書いており、特にライターの事を書くことが多い。その結果、このnoteでお勧めしてくる記事にライターの話が多い。それが私の精神をざらつかせる要因となっている。

 私はフリーランスとしてそんなに上手く行っている側ではないので、まだまだ頑張らなければならない立場である。

 noteでエッセイを書いているだけで、他のフリーランスの為になるような話を特別書いている訳でもない。結構フリーランスのライターはnoteで思っている事を書いている人って多いと思うのだが、それがはっきり言うと疲れるのである。

 例えば【月報】とか【ポートフォリオ】とか、こういうタイトルを見るだけで疲れてしまう。恐らく精神的に疲れているからこそ、目にしたくないワードになってしまっているんだろうなと。本当はもう少し気軽に仕事をしたいと思うし、気軽に案件を獲得したいと思っている。

 しかし、現実世の中そんなに甘くは無くて、思っている以上に頑張らなければならないからこそ、こういう頑張っている姿を見てしまうと疲れてしまう。

 これって私だけではなく、結構同じような心境になる人って多いんじゃないのかな?って。

 記事を書いている人の権利なので私がどうこう言う資格はないのだが、少なくとも私の精神面にはだいぶ疲れとして残るタイプの見たくない記事となる。と言いつつ、私も同じようなマガジンを書いてしまっているのでやはり人の事など言えない。

 せめてAIが選ぶ記事に、ライター系の記事を勧めないでもらいたい。私はあくまでライターをやっているだけであって、ライターの情報を欲している訳ではない。他のライターの情報を知りたい訳でもない。普通にエッセイを書きたいだけ。普通にエッセイを読みたいだけ。コラムも勿論大歓迎だ。だが、何処のライターなのか分からない人の近況を見ても、精神的に疲れるだけなので、このアルゴリズムはもう少し何とかならないものかと思っている。

 私の気持ちと昨今のAI事情とはどうも、私はソリが合わないらしい。

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