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カフェでMacを広げている人にイライラしてしまう私が、何故カフェでMacを広げてしまうのか考えてみる

 露骨に喧嘩を売るようなタイトルで申し訳ないのだが、私はカフェで「Mac」を広げている人が嫌いである。パソコンではなく「Mac」というのがポイントだ。

 偏見でしかないのだが、どうしてもMacユーザーはMacである事に誇りを強く持っているのか、やはりMacで作業をしている人を見ると、誇らしげにしている。たいした作業をしている訳でもないのにくだらねえとよく思っていた。というより今でも正直思っている。Macで作業をするというより、使っているユーザーが気に入らないというのが正解だろう。ブスブサイクなカップルが公衆の面前でイチャイチャしている所を目撃するぐらい、個人的には嫌いなシーンかもしれない。

 だが、私にこれを言う権利と資格はないのである。何故ならこのnoteの執筆自体がそもそもカフェで行っており、MacではないがSurfaceを使っているのだから変わらないだろうと。普通のパソコンではなくSurfaceというのが終わっている。お前も人の事言えねえだろと。はい、すみません。でも嫌いなものは嫌いなんです。

 しかし、こうしてカフェでパソコン作業をしていると思う事がある。これは効率が上がるとかそういう話だけではなくて、やはり周りに人が居るかどうかの違いだと思う。

 本気で効率を考えたり、集中する環境を作るのであれば絶対家の方がいいし、家に環境を構築するか賃貸を借りて事務所化したりするのが一番良い。だが、それを雰囲気でカフェで作業をするという事は、周りに人がいるかどうかというのは大きくポイントだと思っている。

 私の場合、そもそも音楽の仕事はカフェでなんか出来るものではなく、やはりちゃんとスピーカーを鳴らしたいし、キーボードは置いておきたいし、カフェで出来る仕事といったらせいぜいメロディーの構築、メモ、ピッチ修正ぐらいが関の山だ。ちっさいMIDIキーボードやオーディオインターフェースを持ち込んでまでやりたくはない。

 こうして私は自宅スタジオにこもって作業を行うのだが、やはり一人きりとなるので真夜中の作業であればともかくとして、日中はやはり外に出たくなってしまう。それに夜中は人と会う事が基本的にないのだが、フリーランスとしてはそもそも人とほとんど接しないのである。取引を行っている時以外に仕事をしていると外に出なくなってしまうので、交流どころか人と会わなくなってしまう。

 これって思っている以上に精神的に参るもので、上司や部下との人間関係に疲れてフリーランスになっている人でも実は精神的に参っているのではないだろうか?

 あくまで人間関係に疲れてフリーランスになっている人は、上司や部下の人間関係が合わなくて嫌になっているだけで、ちゃんと合う人間関係の構築が出来ていれば上司でも部下でもコミュニケーションを嫌がる訳ではない。だが、今の時代は主張の強い人が多すぎるので、本当の理想を構築しようとなるとそれはまあ、ほとんど厳しいのではないだろうか?特に私と歳の近い人は上も下も板挟み。しんどいよね。

 こうして脱サラリーマンとなってフリーランスになっている人は、人間関係がどうしても減ってしまう。友達が居たとしても、友達だって仕事をしているので自分がフリーでスケジュールを動かせるとしても、友達がそのスケジュールを動かして何とか出来るとは限らない。結構孤独に陥りやすいものである。

 そうなると本当は家でも出来るような作業でも、ついカフェに移動して作業をしたくなる事は分からなくはない。何せ最近基本的に天候は雨なので、余計外に出にくい。だからこそ、晴れている日は貴重で、外で出来そうな仕事は外に持ち出してカフェでドヤ顔をする事に関して気持ちは分からなくはない。実際、人の要る環境で行うパソコン作業って、言語化出来ない魅力と集中力を発揮する。一応ライターをやっているにも関わらず言語化出来ないというのは終わっているのだが、そもそも感覚の話なので共感してほしいとは思っていない。

 交流までは行かずとも、やはり外を眺めながら作業をするのは何だかんだ精神面に対して、だいぶプラスに働いているように思う。

 どうしてもいけ好かないMacユーザーは見かけるかもしれないが、そこはお互い様だと思って一度カフェで作業できそうなものがあればカフェに行くことを勧めたい。勿論図書館だっていい。そして、仕事じゃなくても読書の場所としてカフェを使ってもいいだろう。

 もっとも、私はカフェに行けば結局使っている席は、景色が全然見えない場所ばかり抑えてしまうのだが、これだけの事を書いておきながら結局インドアな部分が強いのかもしれない。

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