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きっかけ

  このマガジンの執筆をする上で、私がフリーランスになりたいと思ったきっかけに関して、これがないと始まらないと思うので書いていこうと思う。

 現在の私はテレマーケティングと音楽制作を行うフリーランスとして活動をしており、他にもかじり程度ではあるがライターの仕事も行っている。フリーランスとは言っても、私の場合はひとつの専門職として働いている訳ではなく、複数の仕事を掛け持つパラレルワーカー型のフリーランスである。また、音楽制作に関しては個人で受注をしており、本来のメインにしたい業務であり、テレマーケティングは業務委託契約による請け負いという形で働いている。

 今のスタイルになる前は広告代理店に勤務しており、音楽とは無縁の生活をしていた。専門学校を卒業してからの人生プランが全くと言って上手くいっておらず、コンペに作品を出しても全然採用されるような事も無く、音楽家としては致命的なまでに全く収入を作る事が出来なかった。当時はせめてレコーディングスタジオに就職でも出来たらという考えもあったのだが、私が専門学校に通っていた頃には既に音楽業界はレッドオーシャン化が進んでおり、スタジオも新規の求人募集が全くと言っていい程無かった。在ったとしても経験者のみという求人ばかりで、とても新卒で入れるような雰囲気ではなかった。私の同期も新卒でスタジオに入る事が出来なかったようで、数か月ほどはバイト生活を余儀なくされていたそうだ。後に同期の彼はそれなりに名の知られるエンジニアとして活動をしていく事になるのだが、よく挫折をせずにスタジオへの就職を決める事が出来たなと思っている。

 一方の私は作品を作るだけ作るコンペに出しては不採用が続き、これ以上の活動は厳しいと思い、一般の社会人への道に進むこととなる。社会人となった私は学生の頃に嫌っていた社会人の働き方を平気な顔をしてしていたように思う。そうでなければ私はきっと、他の人が夢を叶えている姿に嫉妬してしまうから、現実逃避をしたかったのだと思う。何より私の性格として、自分が活躍する事が出来ていないのに、他の人がそれで成功している状況なんか、絶対的に許せるはずはなかった。その辺りは正直今でも割と強く出ているのだが、それに関してはまたいずれ書いていきたい。


挫折が夢の近道

 挫折をしてから2年ぐらい経った頃だろうか。当時私がウェブ上で交流をしていたいわゆるウェブ友が居たのだが、その人経由でとある作曲家と一緒に仕事をするような出来事があった。残念ながらその方は数年前に覚せい剤を理由に逮捕をされてしまった為こちらでは名前を伏せさせて頂くが、某歌姫の作曲家として活躍をされている方であり、私が作曲家を目指すきっかけを与える曲を作った方である。そんな方と一緒に仕事をすると、やはり挫折をしてしまっていたものの、作曲家として活動をしたいと思うようになっていた。

 それから私は今の所属している事務所の社長と出会い、売れない作曲家としての活動を始める事となり、そうなるとやはり音楽だけでは生活が出来ない為、それから今のフリーランスの形になるまでアルバイトの掛け持ち生活をするようになる。これが良かったのかどうかは分からないが、結果として夢が叶ったかどうかだけで言えば、私はとあるアーティストへの楽曲提供をすることが出来たし、印税も貰うような経験もさせて頂いき、描く形かどうかは別として、夢そのものは叶えることが出来たのである。

長くなりそうなので

 そこからはテレアポの仕事をやってみたり、でも会社と揉めて即日で出ていく事となり(ちなみにその会社は潰れている)、今の週1で働いている接客のバイトを始める事で何とかやってきたのである。長くなりそうだったのでかなり割愛したのだが、その音楽家としての生活とバイト生活が長引き、いざ周りの人の生活を見てみると、友達も結婚をして子供も出来ているし、出世している人は出世をしている。そんなキャリアの差が生まれるような歳に私はなっていた。別に私は出世をしたいと思っている訳ではないし、何ならバイトにも関わらず何故か店長やマネージャーも任されていた事もあり、バイトの割には収入がそれなりに安定をしていたのである。バイトでも出世する人は出世するもので、社員昇格も打診されたものの、接客の仕事はそもそも正社員で働くのであれば候補から外しているような職種で、これもそもそもの話なのだが、あくまでも音楽家として活動したいという想いがあった為、社員昇格は断り続けていた。

 しかし、人生を全く振り返らない訳でもなくて、昇進に興味は無くてもこの歳にもなると別のキャリアへルート変更をしている人も増えてくる。それが独立や開業、フリーランスの道である。

やはり誰かの成功が嫌い

 昇進をしたいという欲は無いものの、自分らしい生き方というものに関してはやはりそれなりに理想はある。ガッツリ作曲家として生活をしたいという想いは昨今の音楽事情もあり、ほとんど消えてしまっているのだが、音楽家という意味ではやはり音楽の仕事を切る事は出来なかった。何故なら作曲でも印税を作る事には成功しているし、ミックスの仕事も定期的に頂けている。全くのゼロであれば諦めも付くのだろうが、印税も少額ではあるが貰っているし、ミックスの仕事も定期的に頂けており、こちらも収入を作る事に成功している。本当に少しだとしても、自分のスキルで収入を作る事に成功しているというのは、成功体験としてはどんなキャリアよりも価値のあるもので、1円も収入を作る事が出来ない音楽家だって沢山いる中でこれでもかなり贅沢な方だと自覚している。だからこそ、音楽家としての仕事は切る事が出来なかった。

 そして何より、こうして私が音楽家として収入を作る事が出来ている分、他の人が本当に自分のやりたい仕事で、自分のスタイルで生きている人を見ると、ものすごい嫉妬心が芽生えている事にも気づいてしまった。

 その人の働き方が良いとか羨ましいというよりも、例えその仕事が地獄のようなキツさでも、滅茶苦茶退屈をするような仕事でも、その人がその人らしく生きる事が出来る仕事というのは、どんな仕事よりもきっと良い仕事であり、誰もその人には叶わない。だが、私はその叶わない相手に憧れを抱いており、自分がそう成れていない事が酷く許せなかったのだ。

友達も姉も生活が変わったので

 とにかくやり甲斐を失いつつあった接客をしながら、人の成功を羨ましがる私が居る事に気づいた事と、友達も結婚をして子供を育てていけるほどの立派な大人になり、姉も結婚をして子供が生まれた。そういう状況を考えたその時に、流石に今から結婚をして子供を育てたいとは全く思わないのだが(これはお金の問題だけではなく、日本という環境そのものが子育てに相応しくないと考えている為、結婚をしても子供は求めない)、自分の働き方に関して言えば話は変わってくる。

 音楽の仕事を続けながら、マネージャーをやっているとは言えバイトで働いており、バイト生活も実を言うと家族には一切話していない。そういった後ろめたさも手伝って、これ以上この掛け持ちスタイルで仕事をする事に耐えられなくなっていた。

フリーランスの形は別に自営業や専門職じゃなくてもいい

 冷静に考えた時に、音楽制作をしたくてバイトを掛け持つ選択をしたのだが、そもそもの話として掛け持つ仕事がバイトである必要性はあったのか?という話だ。正社員では副業がどうとか言って言い訳をしていたものの、バイトはバイトで結局忙しくしてしまっていたのであれば、雇用条件なんて何も意味を成していない。何故なら大事なのは雇用条件ではなく音楽制作を行う為の時間を捻出出来るかどうかなのだから、それが上手くいっていないのであれば、もう雇用条件なんか正社員でもバイトでも変わらないではないか。

 そんな事に気づいた私は、もう少し人に誇れる生き方をしたいと考えていた為、どうしたら良いのか考えてみたら答えはすごくシンプルだった。

 コロナで色々な人が仕事を失ったり、職を変えざるを得なくなった人が多発していた。幸い私は今の接客の仕事は特に影響もなく働いていたものの、そんな状況を3年も見てきたからか、そもそも正社員だろうがバイトだろうが、そして昇進をしようがダメになる時はどんな状況でもダメになるのである。それは東日本大震災でボロボロになる社会を見て感じていたにも関わらず、すっかり安定が当たり前であり、昇進が当たり前で、仕事というのは普通に働いていれば働けるものだと勘違いしていた。でも決してそんな事はなくて、条件が揃えば誰だっていくらでも仕事なんか失ってしまうのに。

 と、考えたら、バイトで働かなくても良いし、逆に正社員で働かなくても良い。というより、そもそも在宅ワークというものが出てきた頃から考えるきっかけが無かっただけで、正社員の頃にやっていた仕事も今の時代であれば分業で在宅ワークとして出来るものもあるのではないか?という事にやっと気が付いたのである。それも業務委託と言う形で請け負う事が出来るのではないのか?と。何より、仕事を業務委託で請け負い、成果報酬だけじゃなく時給として出してもらえる仕事だってあるのではないのか?という事に気が付いた。

 そこから私はすぐに求人を探し始めて、今のテレマーケティングの仕事に辿り着いたのである。

視点を変えたら世界は変わる

 人の頭はどこまでも固く、思い込みを一度してしまうと、その思い込みはなかなか変える事は出来ない。だが、視点を少しだけ変えてみると世界は変わるもので、私の今の年齢では転職はもう厳しいと言われている。実際37歳の転職者って社会的信用度は残念ながらかなり低いだろう。キャリアもそうだし、結婚の有無もそうだし、色々考える年齢なので採用担当からしたら地雷も良い所だろう。

 だが、これを転職として考えると地雷マンにしか見えないものの、あくまで転職ではなくフリーランスとして業務委託を請け負うスタイルの人だと置き換えたら見え方が全く違っては来ないだろうか?

 フリーランスとは一生同じ人と仕事を続けるものかと言えば、ほとんどはそんな事はなくて、寧ろ色々な人とそれも複数人の方から仕事を請け負って活動するのがフリーランスではないか。そう考えたら37歳で転職どころか、これから40歳50歳となっていく段階でも、請け負い先なんてどんどん変わるし、請け負う相手も複数抱える事なんか普通なのである。そう考えると全然仕事はある。見つかるよ?仕事。普通にあるよ?仕事。

 とまあ、これはあくまで社会人としてある程度の仕事を経験していた事と、既に音楽の仕事は少額ではあっても定期的に収入を作る事に成功している事、何より私が結婚をして子育てをしていない独身だから取る事が出来る選択ではあるものの、考えてみると結局これが一番私が私らしく働けるスタイルであり、これが一番理想の私なのだと思っている。

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