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才能

 私は人に好かれる才能が無い。何故なら私は性格が悪いし、人の悪口は呼吸感覚で出てくるし、自覚症状を持った上で止められない。もし誰かに対しての怒りを抑え、悪口を言わずに居られるのであれば、きっと私は誰にでも優しくなれるし、誰にも悪口なんて言わないだろう。

 私は人を嫌いになる才能が在る。何故なら私は人の嫌な所を見つける事が得意であり、大体その嫌な所は私の心が許せないぜ居るから。大人になっても気に入らない人の良い所よりも、嫌いな部分を見つけたその時、想像以上にその人の事を嫌いになれてしまう。だから私は人を好きになる事は出来ないし、好かれる事も出来ない。

 私はきっと犯罪を犯さない範囲の中であれば、最も性根の腐った人種だと自覚している。両親には感謝をしているし、これでも友達と言える友達が居る事も感謝をしている。

 しかし、私の人生の中で、誰かと出会って良かった事よりも、出会わなければ良かった事の方が遥かに多い。

 あの時あの人が同じクラスじゃなければ、あの時あの人が同じ部活じゃなければ、そもそもあの人と出会っていなければ、きっと私は誰かを嫌う才能は開花しなかっただろうし、もう少し人に好かれる才能が開花していたと思う。

 私は子供の頃に、人の事を恨み憎しみ嫌う為の訓練を余りに積みすぎてしまった。だから私は恨み続ける事に抵抗が無いし、私が私で居る事の証明になっている。誰と出会わなければ、何処に行かなければ、私は私で居る事が出来たのか、その答えは一生見つかる事はない。

 そんな人を好きになる才能も、好かれる才能もない私には一人、人生で一番長い付き合いを持つことになる人が居た。その人の事も最初は好きではなかったし、寧ろ嫌いな人であった。だが何故かは分からないけど、その人は学校が変わっても、社会人になっても一緒に居たし、気が付けば一番心を許せる人になっていた。特別大きな思い出を作る事は出来なかったけど、私が私で居る事に、最も必要な人だったのだと思う。

 それでもいつかは別れが来るもので、その人も結婚をして岐路を離れてしまった。友情も関係性も壊れた訳ではないが、私の空白は一番大きくなってしまった。

 私はきっとこれからも、人を好きになる才能が開花する事は無いだろう。そして人に嫌われる才能は命が尽きるその日まで伸びるだろう。

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