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空気

 フリーランスになってから空気というものを認識しなくて済むようになって久しい。勿論完全に空気の読み合いから抜け出したわけではないのだが、以前に比べたら無駄に気にしなくて済むようになったという話である。

 組織に限らず、人間関係を続けているとどうしても考えてしまうのが、空気の読み合いだと思う。私はこの空気を読める読めないという話が嫌いである。

 これだけ生きていれば私も空気読んでくれよと思う場面を沢山経験しているし、逆に空気読めよと思われる事も沢山経験してきた。

 しかし、長年色々経験して思ったことは、空気を読めない人間というのはほとんどいないと思っている。本当に空気が読めない人っていうのは1割居るか居ないかの世界だと思う。え?って思った人。もしかしたらそれは、空気の読めない人という訳ではない可能性がある。

 空気を読んでほしい時ってどんな時だろうか?人によっては例えばトイレに入りたいのにいつまでも出てこない。早く追い越したいのに車がなかなかスピードを上げてくれない等、日常的にそんな事を思ってしまう人って結構いるのではないだろうか?しかし、考えてみてほしい。空気を読んでほしい場面とは、大体自分が困っている事、厄介な状況に立っている時だと思う。

 勿論部外者として見てもこの人空気読めないなぁ….ってなる人はいるにはいるだろう。

 ちなみに接客の仕事をしていた頃に、私は空気読めないよね?ってとあるスタッフに言われたことがあった。そこから話し込む機会があったので話し合いをした。

 その空気読めないよね?って言われた時に、私は自分の何が空気が読めなくて、誰に空気が読めないと思われているのか実を言うと理解をしていた。きっとこの場面ではこういう動きをしてほしい。こういう事はしてほしくないっていうのが分かっていた。そのうえで私は空気が読めないのではなく、空気を読まないようにしていた。というより、空気を読みたくなかったのだ。

 はっきり言おう。その読ませる空気、お前の居場所を守りたいだけだろ?っていう場面がかなり多かった。

 私は基本的にヘルプに協力するタイプのスタッフだったし、サボるような事も基本はしなかった。勿論箸休めはしていたが、ノルマそのものはちゃんと終わらせるタイプのスタッフであった。

 しかし、ヘルプに行かないようなスタッフにしてみると、真面目に働かれれば、ノルマが増えるだけなので仕事を終えすぎてしまうと、日頃ヘルプに行かないスタッフの労力に矛盾が生じてしまう。だが、私に言わせれば日頃ヘルプに行かないのに、業務が終わっていない場面を見ると、お前がヘルプ行けよと思ってしまうのだ。何故時点に籠っている人がのうのうと仕事をして、ヘルプに出ている人が業務負担を強いられなければならないのかと。

 まあ、私は大人なので与えられている業務を行うだけなのだが、利害関係の一致しないスタッフにしてみれば、さぞ邪魔なスタッフだったんだろうなという事は想像に難しくない。

 昔話はこの辺にして、言ってしまえばこのスタッフの読んで欲しい空気を読んでしまったら、ヘルプへ行かないスタッフの居場所を守るだけの状況となるし、私の方が邪魔ものみたいに扱われる事が心底気に入らなかったので、絶対空気は読まないと決め込んでいた。

 よく人に空気が読めないとか思ったり言ってしまうような人は考えてほしい。その空気、読ませる側にとってのメリットって何?空気って読む側読ませる側の双方にメリットがある時か、助けてあげたいと思える相手との間にしか成立なんかしない。空気を読まされる側にリスクやデメリットを強いる事になる空気は読んで貰えない。空気を読めと言っているやつほど、読まされる側になったらほぼ100%空気を読まないという選択をするだろう。何故ならその読まされる空気はデメリットそのものなのだから。

 その読ませようとしている空気、本当に相手にとってもメリットのある空気なのだろうか?或いは読んでもらう事で助けてもらわなければならない状況なのか?しっかり考えてみてほしい。ほとんどのケースだと、その空気はリスクかデメリットを与える空気なのではないかと。

 その上で改めて空気の読めない人って果たしてどれだけいるのだろうか?空気を読む気がない、読まないようにしているって言い換えたら、逆に日本人の9割は空気の読めない国民だと私は思っている。結局世の中利害関係が一致しなければ、自分の権力や立場を守る為に空気を読まないし、何なら空気を読ませにいくだろう。だからこそ令和らしい陰湿な時代になっていくわけで、令和らしい陰湿な空気感に納得がいく。本当に嫌な世の中になったものだ。

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