"生き延びた"瞬間 |瀬戸内国際芸術祭2022 大島にて
瀬戸内国際芸術祭2022を訪れていた。
10年ほど前、ツアーで直島・豊島・犬島を訪れており、芸術祭の会期中に来るのは初めて。
行ったことのない島や作品に触れたいと思い、目に留まったのが大島。
ハンセン病回復者の国立療養施設があり、1日1便、スタッフを含む50名のみが大島行きの船に乗船できる。
▼大島について(瀬戸内国際芸術祭2022公式サイト)
トリエンナーレ期間中も最初から大島に行けたわけではなく、新型コロナウイルスの影響等もあり、作品公開は夏会期から。
そして、鴻池朋子さんの作品《リングワンデルング》に、秋会期から「逃走階段(エスケープルート)」という新作のツアーが追加された。
公式サイトでこの情報を見たとき、私は今いる会社の休職を決意したところだった。まさに、「逃走するぞ」という心持ち。
作品のタイトルとスケッチ、そして島に入れることの希少性に惹かれて、ツアー開催日に合わせて岡山に住む友人と訪れることにした。
大島を訪れる前、私は円環状の道を歩くことにより、こういった心境を追体験するような作品なのかな?と想像して、強く心惹かれていた。
けれど、実際に訪れて体験した《リングワンデルング》は、全く違っていた。
島について、まずスタッフの説明を受ける。
ハンセン病の歴史と、この島にいる入所者の方々のこと。注意すべきこと。
なんとなくの知識として知っていたことを、それがまさに起こっていた土地を踏みしめながら聞く。
説明の後ろで、童謡の「ふるさと」が流れている。
少し歩くと、別の曲が重なるように流れる。
これは、ハンセン病により視力を失った方が、道や場所を判別するためのもの。
スピーカーを通して流れる少し軋んだノスタルジックな音楽に、異世界やゲームの世界に迷い込んだような感覚で心許なくなった。
《リングワンデルング》のツアーには人数制限があり、私と友人は2回目の時間となった。
ツアーの集合時間まで他の作品を鑑賞した。
あまり前情報を入れずに来たからこそ、叩きつけるように、アートを介して伝達される、ハンセン病と大島の情報たち。
差別、管理、離別、堕胎、創作、逃走。
大島だけではない、全国の療養所という名の隔離施設で起こっていたことが、短時間で深く心に刻まれていく。
ここは異世界でもゲームでもなく、現実として歴史を積み重ねてきた場所なのだということを咀嚼して、《リングワンデルング》へと足を踏み入れた。
《リングワンデルング》があるのは、島の北部にある山。
山をぐるりと一周する道はかつて「相愛の道」と呼ばれ、入所者たちの散歩道だった。
本作が制作されるまでは、歩く人がいなくなり、通れなくなっていた。
そこを改めて切り拓いてできた道。
ツアーの集合場所まで黙々と10分ほど歩くと、道の途中途中、看板で語られる、盲目で歩くこの道の風景。
集合場所「北の遠吠え」で準備を済ませ、スタッフによる解説が始まる。
管理され、隔離されたこの島で、逃げようと決意した人たちがいた。
島の外、海を渡った先を目指し、そして、還らなかった人がいた。
この崖の「逃走階段(エスケープルート)」は、まさにその逃走を追体験するもの。
私にとっては、忙しなく、息がしづらい毎日からほんの少し逃げたくて訪れた場所。
だけど、ここで生きていた人にとって、「逃走」はどんなものであったのか。
急斜面を降りるので、前の人と間隔を空けて、スタッフの指示が出てから階段を降り始める。
ロープや手摺りを頼りにしていたけれど、結構こわい。でも、当時この島には、そんなものなかったはず。
最後の石段を降りていく。
だんだん勢いがつく。
最後、砂浜にほとんどジャンプするように降り立った。
その時、たしかに"生き延びた"と思ったのだ。
砂浜の写真を撮りながら、涙が滲んだ。
そこにあるのは、ただの砂浜。
そこからどこに行けるわけでもなく、穏やかな波が寄せては返しているだけ。
それなのに、呼吸は深く、視界は広く。
なにもかもから解放されたような心地と、それでも自分はここ以外のどこへも行けないのだと、その瞬間、確かに感じた。
ひとしきり砂浜での時間を味わい、今度は降りた崖を登っていく。
筋肉痛がかすかに残る太ももが、はち切れそうなほどの傾斜。
登り切って、息を切らしながら残りの《リングワンデルング》を歩いて行く。
木々を縫って見える瀬戸内海が美しい青と緑を湛えていたけれど、リングワンデルングの登場人物は、それを見ることはできない。
海は決して、逃走した人をやさしく受け入れるだけの場所ではなかった。
それでも。
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休職したい、と思ったのは9年ほど働いていて初めてのこのだった。
働きだす前に、逃げたことが何度もある。
その時は、休むとか、段階を踏むとか、考えられる状況をとうに過ぎていて、まさに海に飛び込むがごとく、すべてを捨てるように一切を遮断していた。
今の私は、盲目なまま海へと逃走するほどの勢いはなく、ただそれは、残った理性が「逃げる前に休め」と言っていたのかもしれない。
ほんとうの「逃走」を追体験して、生き延びた私。
生き延びた瞬間を忘れたくないと思った。
そして、生き延びるために、これからも生きていかなければ、とも。
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