私の大学奮闘記1年次。 vol.1
私は何もわからず、弘前大学の教育学部に進学した。母校は札幌平岸高校のデザインアートコース。美術のことしかわからず、最初は困り果てた。進学理由は、(芸術文化)を学べる大学に入りたかったため。両親からは(教育の美術)じゃないと許さないから、と言われたので、適当に近い大学で教育の美術系大学を選んだ。
”美大にいくことなど夢だ”
そう思っていた。母校には、美大にスラスラ行ける奴らがたくさんいた。経済的にも実力的にも追いつかず、羨ましさはあるが、そこまで(美術)にお金はかけれない家だとわかっているし、そこまで勉強熱心でもなく、高校での美術の成績は10段階評価では(7〜8)であった。逆に化学や数学は(9〜10)評価であったので、自分では、完璧な理数系だと思っていた。中学校時代の英語教師の担任には、(理数系なのに”芸術”を選ぶのは珍しいな)と言われていました。
そんなこんなで志望動機は(あまり自覚がない)が、入った大学が国立大学だったので、親戚や家族からはすごく喜ばれて、高校を卒業した。
最初に行ったのは、(青森銀行)の学費の手続き。
札幌の中心街にある銀行で口座を開設した。
あまりにも、窓口の女性の雰囲気がよく、お世話すぎな人で好印象であった。
”青森の人っていいのかな!?札幌の人より優しいね!”
と期待を抱き、(お世話好きな青森県民にお世話になる)ことを期待に、あとからかなり巻き込まれること知らずに、
(将来は、青森銀行で働くのもいいかもな!)
と両親におだてられ、多額の学費を振り込んだ。
(お金、好きだからなぁ。向いてるかもね!)
と会話をし、そうだ。高校ではアートマネジメントの本をかなり読んでいた。将来は経済的なことも学んで、母校でアーティストが輩出されたら、マネジメントをしよう。そう思った。
大学の話に戻ると、(芸術文化専攻)を選んだのは2つ理由がある。
・アートマネジメントをしたい
・美術以外に”音楽”を学びたい
そういう志望動機もあり、進学を決めたのだ。
芸術文化専攻では、教育学部でありながらも(博物館の学芸員)の資格がとれることがわかり、教員免許取得より”学芸員”資格を取得することを目標に学業に挑むことになる。
1年時の目標はそれであった。
”将来の夢は、青森銀行に就職か学芸員資格を取得すること!”
がんばろう!!
そう思ったのだ。
そんなこんなで、数日後には新千歳空港から北海道を離れ、青森空港に飛び立つことになる。
ありがとよ。北海道!さようなら!!またね!