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回る盤に針を載せて
「秋の終わりの甘味たち」
店頭にロッテのBacchusが並び始めた。ブランデー入りのチョコ。これがおいしくて好き。スタバのメニューもハロウィンから切り替わった。頻りに隣ではメラメーラ、メラメーラと言っていたが、これも飲むことはなく終わってしまった。今は、マカダミア ホワイトスノー チョコレート フラペチーノらしい。おいしそうじゃんと思う一方で、また飲まずに終わるかもな~と薄々感じる。クリスピークリームドーナツの新店舗が行きやすい場所にできたので、これもすごく嬉しい。
10月末には、いつものメンバーで伊豆旅行へ。BBQをして、滝を回って、夜の海で花火をしてはしゃいだ。ここに変わらない良さもある。その時はまだ上着すら必要なかったが、急激に寒くなる今日を見ると、秋物のジャケットは数回の出番で終わってしまいそうだなと感じる。
「最後の1年で何ができるだろうか。」そう思って過ごした一年。8月、9月と順調に頑張った。順々に10月も終わった。今になって過ぎた時間に驚く。微風、緩やかに下降を続けて11月。所詮はただの暦と思って、まだ空には居る。あとどれくらいで地面だろうか。
「号砲が鳴らない」
先日、赤の他人のふとした一言に、ただ呆然としてしまった。「学生の落書きの延長でしょう?」そう言われた瞬間、全く自分の絵が上手くなっていないことに気づかされた。
「頑張って、もっと頑張って、お前は下手なんだから」と、ずっと言い続けてくれた人。それに対して自分は「楽しく描きながら、少しずつ挑戦していくよ」と、気楽に答え、あたかも少しずつうまくなっている気になっていた。実際はそんなわけもなく。あれだけ伝えてもらっても、自分が頑張れていないことを気付けなかった。それが、あまりにもショックだった。
それだけではない。仕事のスキルも伸びていない。その他の趣味、ありとあらゆるもの、伸びていなかった。認識すらできていない。人生で楽しいことを見つけられないよりも、よほど辛い。努力することは、何よりも尊いこと、そう信じてきたはずだった。なぜそうなってしまったのか、自分でも全くわからなかった。
自分がなりたいと思ったことを成し遂げる。自分よりできる人が居て、それを超えようと当たり前の努力をする。絵も、趣味も、書くこと歌うことも、仕事も、技術も、運動も、コミュニケーションも、全部ド下手からやれるに変えた。そんなあの頃、特別な存在になって生ける世界を紡ぐ主人公になりたいと本気で志していた。
しかし、狭い社会で得た優越感は、いつからか自分を特別と勘違いさせた。勘違いの満足は、後ろ向きに価値観と目的をすり替えていく。できないことはできないままに、「やりたいこと」は「克服すること」へ、「挑戦」を「後悔」へ、鬱気や歳を言い訳に立ち止まっては、何をしたかったのか悩むことが増えた。大人の日常の中では、歩けど景色は変わらず、最後は自分が立ち止まっていることすらも気づけなくなっていた。まだできないことがたくさんあるはずなのに。
「街角のモミの木を飾る」
人並の幸せの在りどころを知って、未来への恐怖はより形づいた。皆それぞれが自分の物語の主人公になればいいと、自分にとっても他人にとっても甘い人生観を据えた。何かを成せない赦しへの切符。みんなに配ってあげるのがいい。奉仕的に生きて社会に必要とされた人の物語は、多少箔がつくだろう。指針があれば悩まずに済む。最後のページはハッピーエンドに違いない。
———そんなはずはない。自分の傲慢さは、高ぶりに高まっていた。そんなことも誰も求めていない。他人の歩幅を理解した気になった自分勝手な有難迷惑たちは、誰にも知られずただただ自分を薄めた。
幸せに憧れたのか、人生が許されているように見えたのか、頑張つもりのないの人の目に映る自分が惨めに見えただろうか。いろいろ考えても、やっぱり悩まないで済むことは、あまりに羨ましかった。
しかし、そのふとした一言は、かつての行き先を思い出させた。自分がしたかったことは、全然まだまだ知れていない、成れていない、その先、さらにその果てを目指すこと。先人たちを追う道はどんどん細くなる。そしていずれは途絶える。友達も家族も、先輩も後輩も次第に隣から消える。この先を目指すには、年甲斐もなく、ただ自分のためだけに努力するのだ。満足はだめだ。満足するから、選択肢を選べない最後の人のように、死の際の絶望を妄執したり、既知により失った人生の楽しみを嘆く暇ができるのだ。もう立ち止まることは選べなくなっていた。今でもそうありたいと思ってしまったからだ。
努力という言葉には魔力がある。何かやった事にしたい自分への免罪符にうってつけだ。努力と言う言葉自体は裏切らない。
頑張るという言葉も同じだ。今までは言葉遊びをして、言い訳してただけ。昨年2023年は、たくさん活動して、努力して、自信をもって生きたはず。
恐怖にコントロールされて、なりたい自分を見違えてはいけない。心が自由であること。孤独を恐れないで、他人と付き合うこと。自分や他人との約束を守ること。
一生懸命に生きて、初めて他人と向き合うこと。
2024年。今度は、去年と変わって、今からが本番だ。
楽しみではある。
もう地面は見ない。また強い風が吹いた。