ジャイアンは悪ではない

 ゴールデンウィーク何日目かは忘れた。実家に帰って家族で御代田のツルヤに行った。運転は私がして、母の車でいった。車から降りて後ろのドアを開ける時に、車にほんとに小さな傷ができているのをみた。家の周りの森を走っている時に枝に擦ってできた傷だと思われた。母と、ここに傷ができているねという話をした。
 買い物をして帰ってきたら、車の右側に真っ黄色の車が出ていくところだった。男が運転して、女が助手席に座っていた。なぜ気づいたかわからないが、さっき母と確認した傷の近くに真っ黄色の塗料と一緒になかなかの擦り傷がついていた。
 絶対に許さないと思って、警察に言うと私は騒いだが、両親は警察にいっても意味がないと、諦めモードだった。
 私は帰りの運転中、当て逃げされたことに腹が立って涙を流した。母には、これはお母さんの車なんだからそんなに悲しがるな、というようなことを言われた。
 母のその言葉を聞いて、自分が今泣いていることは客観的にみておかしいのかもしれないと思った。当て逃げされたのは母の車であって、私の車ではない。しかし今なぜ私が泣いているのかと言うことを冷静に振り返ると、それは、母の車を自分の車だと思っていたからだった。「お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの」。この意識が私に涙を流させた。
 この時、私は私の中の潜在的なジャイアンに気づくと同時に、ジャイアンは悪ではないのかもしれないと思った。ジャイアンという例えは、悪い表現で使われることが多い。仲間思いの友達に対してジャイアンだねとは言わない。
 しかし、他人のものを自分のものと思って自他の境界を曖昧にして生きていると、今回のように、他人の不幸を一緒に悲しむことができる。とすれば逆に、他人の幸せも同じように喜べるのかもしれないし、ジャイアンにもそんな一面があるのかもしれないと思った。

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