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永遠のヒーロー

こんにちは。
ダゾーンで試合を観ながら、次はどんなテーマにしようかなんて、のんびりしていたら、おっさんは次々とコラムを出していて、出遅れている感 笑

色々テーマは考えているのですが、今日はおっさんが書いていた松田直樹選手について書きます。

私が、松田直樹選手の存在を知ったのは小学生の時。もう10年以上が経ちました。父に、日産スタジアムに連れて行ってもらいマリノス対グランパスの試合を見に行ったのがきっかけです。その時に私が座った席の周りには、背番号“3”のユニフォームを着た人ばかりで、そのユニフォームの背中には”MATSUDA”の文字が入っていました。MATSUDAと名前の入った同じユニフォームを着た人のあまりの多さに、MATSUDAという人は何者なのか父に聞いた記憶があります。

しかし、それからすぐに彼は戦力外通告により、マリノスを離れてしまいました。当時の私は、マリノスの試合を観に行ったことも数回しかなく、マリノスを観に行く理由も「中澤選手がかっこいいから」という不純な動機(笑)で、Jリーグでマリノスが「どのくらいの順位をつけているのか」とか、「中澤選手以外にはどんな選手がいるのか」等、全然知りませんでした。しかしそんな私でもサポーターの様子や、松田選手のマリノスでの最後の試合でのセレモニーを見て、あの大量解雇はただ事ではないと感じたのを覚えています。

私が、松田選手や山瀬選手の偉業を知ったのはあの大量解雇(2012年…河合選手や坂田選手が一斉に解雇されたシーズン)の次の年。私は2013年シーズンから年間チケットを買って、日産スタジアムに足を運んでいるので、松田選手の凄さを知ったのは彼が移籍してしまってからです。観戦に出かけるスタジアムで松田選手の凄さを聞くたびに、もっと早くマリノスのサポーターになっていれば、彼のプレーが観れたのに、と今でも後悔しています。

松田選手(以後マツさん)はサッカーをするのに素晴らしい環境が整ったマリノスで長年プレーし、Jリーグ優勝を経験したのにもかかわらず、当時JFLの松本山雅をJ2に上げる、と言って移籍しました。マツさんは、サッカーが大好きだから、サッカーを続けたい、その想い一心で、決して環境が良いとは言えない松本の地へ彼は旅立ちました。その姿は本当にカッコよくて、勇ましくて、当時13歳の幼い私がサッカーにハマったきっかけの1つです。
マリノスにいた当時の姿というのを、あまり知らない私でさえ、マツさんのことが気になったし、マツさんがきっかけで松本山雅FCのことが気になっていました。こんなサポーター歴の浅い私でさえこんなにも影響を受けるのですから、マツさんの影響力は本当に多大なものだと思います。

中学2年生の夏、夏期講習が終わり、帰宅し、テレビをつけると、松本山雅の松田直樹が倒れたというニュースが目に飛び込んできました。
練習で倒れ、心肺停止の状態で、病院に運ばれた。そして翌朝には、訃報が流れました。人は亡くなってから、その人の偉大さがわかると言いますが、まさにその通りだと思いました。マリノスの試合でも直樹コールが響き、彼のご冥福をみんなでお祈りしました。マリノスのサポーターからも、山雅のサポーターからも本当に愛されていた選手だったのだと改めて実感しました。

当時の松本ではAEDなどの設備のない、スポーツをするのに不十分な環境で練習が行われていたことを知りました。さらに街や建物だけではなくスポーツをする環境にもAEDといった設備が必要だということもその時に知りました。中学生の時の私の単純な思考ではありますが、日本における地域格差を私なりに感じ、どうにかしたいと強く感じました。
思い返してみると、横浜のヒーローが亡くなった、その経験から私は「地域格差をなくしたい」「地域活性化の重要性」を感じるようになったのだと思います。スポーツで地域格差をなくすことが出来るのではないか、Jリーグがあれば田舎の地域も大都市に変貌(環境の変化)を遂げることが出来るのではないかと思っています。私は漠然ですが「自分が将来やりたいこと」に、そこで出会ったのだと思います。

そこから私は地域活性化に関するボランティアに参加したり、学校で地域活性化について研究をし、さらに今後も研究していく上で、この人だ!と思える教授にも出会い、志望校にも研究会(ゼミ)にも出会い、今ではその人の元で、スポーツを通した地域活性化の活動をさせていただいています。1人のサッカー選手との出会いが自分の人生に大きな影響を与えてくれたと思うととても感慨深いです。

マツさんから影響を受けた人は、たくさんいると思います。当時中学生だった1人のサポーターにも、今でも夢や目標を与えてくれています。本当に彼は素晴らしいサッカー選手です。

「松本山雅FCをJ2にあげる」というと、当時は嘲笑う人もいたようです。しかし、今では松本山雅FCはJ2で堂々と戦っています。人が笑うような夢でも、不可能なことはないのだということもマツさんは私に教えてくれました。私は、1人のマリノスサポーターとして、マツさんのスピリットを受け継いでいきたいと思っています。

毎日の学生生活の中で私は「1つでも多くの地域が、スポーツを通して、元気でコミュニケーションが溢れる地域になって欲しい」と思っています。

つらつらと、私の中の『松田直樹』について書いてしまいました。。。書いているうちに、自分が将来、やりたいことに出会ったときのこと(マツさんが亡くなったときのこと)を思い出して、初心に帰ることが出来ました。大学生活も残り半分。後悔のないように、松田直樹のような熱い毎日を過ごしたいです。

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