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#170_「1192(いいくに)作ろう鎌倉幕府」ではないかもしれない

日本史もいろいろとアップデートされているようで、その中でも面白いのが「鎌倉幕府の成立時期」という論点です。

これはもう、「1192(いいくに)作ろう鎌倉幕府」という、語呂あわせの年号の中でも特に秀逸なものがありますが、そもそも1192年とは何かというと、源頼朝の征夷大将軍就任の年で、もともと「幕府」というのが「征夷大将軍の居館」という意味だとすれば、たしかにそれでよさそうです。

しかし、もう少し「幕府」の意味を実質的に考えよう、という意識のもと、各論者から展開された見解を整理すると、以下のとおりになるようです(出典:「詳説日本史研究」(山川出版社))。

①1180(治承4)年末  頼朝による南関東・東海道東部の実質的支配確立
②1183(寿永2)年10月 寿永2年10月宣旨(朝廷による東国支配権の承             認)の獲得
③1184(元暦元)年10月 公文所・問注所の設置
④1185(文治元)年11月 守護・地頭の任命権などの獲得
⑤1190(建久元)年11月 頼朝の右近衛大将就任
⑥1192(建久3)年7月  頼朝の征夷大将軍就任

要するに、幕府というものをどうとらえるか、という点に関する研究者の見解の相違に基づくものではないかと思います。ごく単純にとらえれば、語源どおり、「征夷大将軍」というポジションに着目して、その就任をもって幕府の成立とみる(⑥)のであり、わかりやすさでは一番であると思います。だから、これまでも広く一般に通用してきたのでしょう。

一方で、もう少し幕府の性質や成立過程に着目するならば、いろいろなメルクマールがあるわけで、その違いが上記のようなものなのだと思います。

ちなみに、現在は、幕府の軍事政権としての成立過程に着目し、その中でも守護・地頭の任命権や、兵糧米の徴収権などを獲得した④の時点をもって、鎌倉幕府の成立とみる見解が有力のようです。

たしかに、出発点となった東国だけでなく、全国規模での実効的な支配がいつの時点で確立されたか、どの時点で不可逆なものとして成立したか、というふうにとらえると、④の時点が重要というのもよく理解できます。

こんなふうに、単なる丸暗記ではなく、「そもそも幕府とは何か」というところまでさかのぼって考えるのは、とても面白いものです。

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