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身近な人がいなくなったあと…

義父の葬儀には多くの方がお別れに来てくれました。生前の義父がどんな人生を歩んできたかがよくわかる光景でした。

享年69歳。

夫には妹がいました。

21歳の時に他界。

娘を亡くしてから…義父は定年退職し、毎日夕方になると必ず自宅近くのお寺に行きお墓の前で手を合わせていました。毎日必ず。

強いお義父さんでした。

子供が自分より先に逝くということは想像を絶する経験です。でも正直どれ程なのか…私にはわかりません。

でも私も自分に子供が出来て…小さな命を守るプレッシャーの大きさに押し潰されそうになる事もあります。

いつどうなるかわからない。と。

義父は多くを語る人では無かったけれど普段の言動が義父がどんな人だったか、いなくなってから見えてくる事も多いです。

妻を支え優しく見守り…本当に優しいお父さんでした。義母の誕生日には必ず大きな花束を贈る義父でした。言葉は少なくとも家族に最大限の愛をくれる人でした。

その夫が急に、自分のそばからいなくなった義母は気丈に振る舞っていましたが今思えば相当な喪失感だったろうと…

その義母に寄り添うのが今度は息子である夫と私になったのですが息子はミャンマーへ戻らなければなりません。たった一人の日本人駐在員ですから…

私がそのまま日本に残り四十九にちまで義母と時間を共に過ごしました。

葬儀後にもやる事は沢山あって、こんなにも人が亡くなるとは大変なことなのか…悲しむ暇も無いほどでした。

気丈に振る舞っていた義母ですが義父の死亡届を役所に提出し役所から出た途端目から涙が溢れ初めて義母が悲しみを表現しました。

貴方の前だから涙が出ちゃったわ。と。

嬉しいような…

でもこの時私は「義母はこれまで経験してきた悲しみをどこでどうやって解放してきたのだろう」と思った。

抱えているとしたら…と。

周りに大勢の友達がいて交際範囲が広い義母。

でも心から自分の弱さを出せる人が多くはいないのかもしれないと思った。

私にはわからないけれど…

日本に2カ月近く滞在し、東京に義母を残し私はミャンマーへと戻りました。

この時の気持ちは表現し辛いのだけれど、義母を1人残して行くことへの罪悪感と、やっとミャンマーに戻れるという安心感を抱く自分に複雑な感情になったのを覚えています。

身近な人を亡くすということ。

その故人に関わる全ての人が受ける衝撃と悲しみは故人との距離が近かろうが遠かろうが与える影響は大きい。

哀しむ義母と夫を側で見守る私も正直しんどかった。

見守る人への寄り添いも必要だと、見守る人の方が意外としんどいのでは無いかと…今の私はそう思うのです。

義父母にはミャンマーには早々に来てもらっていたので息子の現地での様子を見てもらえた。なので義父には少しは安心してもらえていたかな?と思う。

写真を撮るのが大好きだった義父にこの10年後に生まれてくる孫を見せてあげられなかった事は残念だけれど、きっとどこかで見守ってくれているはず。そう思います。

続く…










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