身近な人を亡くすということ
11月。
ミャンマーは乾季に入り朝晩涼しく爽やかに感じられる季節です。そして一年に一度この時期の満月の日にライティングフェスティバルが行われます。
灯籠流しの空版と言ったイメージでしょうか。
炎が灯された小さな白い気球が真っ暗な夜空に放たれ空を埋め尽くします。とても幻想的なお祭りです。
タイのチェンマイでも同じように開催されます。タイではいつからか外国人観光客向けのイベントの様になってしまっていますが。
ミャンマーではヤンゴンから飛行機で約1時間離れたインレー湖で行われます。この地域の人達にとってとても大切な伝統儀式。
20年以上前のミャンマー、インレー湖を訪れる外国人観光客は本当にまばら。
私たちは友人夫妻、そして日本から遊びに来ていた私の従姉妹1人を連れてインレー湖のライティングフェスティバルに行くことにしていました。
とても楽しみにしていたライティングフェスティバルを翌日に控え、従姉妹とヤンゴン観光済ませ夕方には家に帰宅。夕飯前に寛いでいると自宅の備え付けの電話が鳴りました。忘れもしない金曜日の夕方でした。
夫からの電話でした。
「父親が亡くなったって。今、Yさん(日本のミャンマー担当)から電話があった…」
と、あれ?どこかで聞いたことのある様なフレーズ…台詞の様に聞こえたけれど電話の相手は夫…
つい2、3日前に電話で話をして声を聞いたばかりのお義父さんが?
2週間前に2人で法事の為に日本へ帰国し会ったばかりのお義父さんが?
こういう時、人って一瞬思考が停止するんですね。
「母さんが今病院の霊安室にいるみたい。詳しくはわからないけど、とにかく直ぐに日本に帰らなければならない。飛行機手配しないといけないからまた連絡する」と。
実感が全くわかない。わくはずない。
窓の外に広がる景色はいつものヤンゴンの穏やかで静かな夕暮れの空。
そばには遊びに来ている従姉妹がいて、明日の朝には飛行機に乗って楽しみにしていたインレー湖へ行くんだもの。
なのに電話で聞いた話の内容は真逆で。
元気だったお義父さんが?亡くなった?霊安室?
これから日本に帰る?
何だろ、今起こっていることって…
するとまた家の電話が鳴った
受話器から聞こえて来たのは私も在職中にお世話になっていた先輩の声でした。
「今日本にいるお義母様からお電話があってね、お義父様がお亡くなりになったって。〇〇(夫の名前)さんには今お伝えしたの。お義母さんは今お義父さんと病院にいらっしゃるみたい。とにかくお義母さんとは私が連絡取り合ってるから大丈夫よ。気をつけて帰ってきて」と。
「わかりました。」
電話を切り夫からの連絡を待つ間に直ぐに日本の私の実家の両親へ電話をしました。
後から聞いた話、
私の両親は新幹線で直ぐに上京。。深夜。東京の病院に駆けつけたそう。
何故なら夫は一人息子。妹を亡くしているので他に頼る身内がそばにいる訳では無かったからお義母さんが心配だと駆けつけたんだそう。
そして私たちはヤンゴンからバンコク経由の飛行機で日本を目指したのだけれど翌日の便しかチケットが取れない。
ヤンゴンからバンコクまでの便は何とか取れてもバンコクからの便がなかなか取れない。ビジネスクラスでも。
それでも何とかそのあと夫1人の席が取れた。
私と従姉妹は最後まで直行便が取れず関空経由で羽田空港へ。日本から来ていた従姉妹を連れて東京へ戻りました。
一気に世界が変わった。
そして帰国した日本はもうすっかり寒くなっていました。
お義母さんと息子と私と過ごしていたいつもの部屋に布団の上に病院から戻って来ていたお義父さんがいました。側にお義母さんと夫、昔からの友人が寄り添っていた。
あぁ。何なんだろ、これって現実なのか?
でもそこにいるのはお義父さんなんです。そこにいるのは…
この数年前に82歳の祖父を見送った私でしたがその時と何かが違うのです。
衝撃度が違うのです。何故だろ。
祖父はゆっくりゆっくり老いていく姿を遠目で見ていたからなのでしょうか。母というクッションが間にあったからでしょうか。
又は私には兄弟が2人いて、親戚との距離も近いから?悲しみや衝撃をみんなで分け合い分散出来ていたからなのか。
未だに何故だかわからないのだけれど祖父の死の悲しみの時と私の中で何かが違うのです。
とても不安な気持ちになるのです。そしてとてつもなく苦しい気持ちになるのです。
娘を亡くした数年後に私を義理の娘として迎えてくれたお義父さん。本当に温かく優しく迎えてくれたお義父さんでした。
婚約中から夫抜きでお義父さんとお義母さんとご飯を食べに行ったり旅行に行ったりしました。
娘が戻ってきたみたいと喜んでいると人伝に聞いたこともありました。
口数の少ないお義父さんでしたが会う度に「はい。これ誕生日プレゼント。」「はい。少し早いけどクリスマスプレゼント」「はい、来年の誕生日プレゼント」と何かと理由をつけてはバッグをプレゼントしてくれるのです。
それがとてもセンスがよくて。
デパートに行く度に私に何かないかと見ていたんだそう。
それは決して押し付けがましくなくて、お義父さんの温かい気持ちが伝わってくるのです。
私が実家に帰る時はさりげくこんな言葉をくれるお義父さんでした。
「ゆっくりしておいで。ご両親にいっぱい甘えておいで」と。
私の両親はいつも「お義父さん、お義母さんを先ずは何よりも大切にね。」と言われていたのでお義父さんからのその言葉は私にとって嬉しい言葉でした。お互いを思い遣っているんだなぁと思えたからだと思います。
でももうそのお義父さんの魂はここにはいないのだ。。亡骸をみてそう思ったら苦しくなった。
私はこの時から人の死を本当に怖いと思うようになった。
大切な人が急にいなくなるということを心から怖いと思うようになったのです。
このお義父さんとの別れがその後の私に大きく影響してくるのです。
続く…
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