20年前のヤンゴンでの暮らし
高い建物が殆ど無かったヤンゴン。
街の至る所から高台に立つシュエダゴンパゴダが見えていました。
夜になると荘厳に輝くシュエダゴンですが毎日の様に停電がある電力状況の悪かったヤンゴンでシュエダゴンパゴダだけは光が消えたことはありませんでした。
いつ見てもどこから見ても本当に美しいパゴダです。
日本やタイから帰って来てこのパゴダが見えると心からほっとしたのを覚えています。
日本に一時帰国した時、友人達と池袋の高層ビルの上層階のレストランへ行った時のこと。
凄い!
エレベーターが止まる心配なく、こんな高層階までこのスピードで上がっていくなんて!そして当たり前の様に食事が出てくる訳で…
こんな高層階まで当たり前の様に電気が煌々とついていて、眼下に広がる景色は眩いばかりの光、光、光。
当たり前のように車内が煌々と照らされた電車が行き交う光景。
夜の工事現場にも色んな種類の電光がチカチカ、ピカピカ、至る所で点滅している。
ヤンゴンから日本に帰って毎回驚き変な感覚になるのは都内の光の量の多さでした。
私もついこの前までこの都内に毎日通い当たり前の景色としてみていた筈のこの景色が…こんなに違う景色に見えるとは。
自分でも驚きでした。
凄いことなんです。電気が日本の隅々まで行き届いているということは。
ヤンゴンでは停電は当たり前。停電になると民家の窓からロウソクのオレンジ色の光がポツンポツンと…
外国人が暮らすエリア、大使館があるエリア、ミャンマーの大臣等が住むエリアでは比較的停電になりにくいとされていました。
でもよく電気はおちました。
その度にジェネレーターが動き出します。
もちろんロウソクも欠かせません。冷蔵庫のものがダメにならないよう、冷凍庫のものを冷蔵へ移動させて保冷させたり。ちょっと頭を使います。
でもどんなに停電が酷い時期でもシュエダゴンパゴダは光が消えることは私が暮らしていた間には一度もありませんでした。人々の寄付で明かりが消えないようになっていると当時聞いていましたが…
ミャンマーの人々にとってここはとてもとても大切な場所。
当時のヤンゴンでは日が沈むとオレンジ色の弱い光が街中の建物に灯されました。電力事情が悪かったので夜のヤンゴンは夜の暗闇色の方が強くその中にポツンポツンと電気が灯される程度。
どうもそのヤンゴンの光の量に慣れてしまったのか久しぶりに東京の大量の光のに私の目が戸惑ってしまっていたようです。
そして思いました。
こんなに電気必要?夜、作業も行われていない工事現場に、人のいない場所に、この色とりどりの光って必要?電光掲示板からの光も半端なく感じるのは私だけ?
どうも目が疲れて仕方ない。
夜なのに室内も外もどこもかしこも色んな色の電気が煌々とついていることに違和感を感じるようになっていました。
でもそれと同時に凄いなぁ、日本って。
当たり前の様に電気がある生活。
私は今までこれを当たり前だと思って暮らしていたのか…
全く違う街に見えたことに自分自身が一番驚いた。
そしてミャンマーへ戻るとホッとする自分に気づきました。
夜のヤンゴンの空港へ飛行機が着陸する間際、眼科に広がる景色は漆黒。その暗闇の中から荘厳に輝くシュエダゴンパゴダが見え、そしてポツンポツンと家のオレンジ色の灯りが見えてくる。
まだ車の量も少なかった時代。僅かに走る車のヘッドライトでそこに道があることがわかる。
あぁ、やっと光が見えてきた、と思ったら滑走路へ着陸。
当時ヤンゴンの空港に着陸する国際線は1桁でした。飛行機のタラップを降りるともわぁっとした湿度を帯びた熱風がお出迎え。
日本の空港で使われていた中古のバスがそのままリムジンバスとして使っていたヤンゴン空港。
そのバスに揺られ気怠い空気感の空港施設に入るのですが…
何とも言えない静けさとちょっとした緊張感。銃を持った軍人が常にいた空港。外国人の入国には厳しかったミャンマー。
でも何故か…あぁ、帰ってきたなぁ。とほっとする。
この頃からか、本当の豊かさって何だろう…と。私は強く意識するようになりました。
続く…
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