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しょうがい者の可能性を探る・宮城県栗原市セミネ飛行場・管理者&ヘリパイロット

2021年2月25日放送のFMぎのわん「玉那覇尚也のパイロットになろう」では宮城県セミネ場外離着陸場の管理人兼ヘリパイロットいづみさんにお越しいただいた。

番組冒頭から発覚したアメリカでの訓練地が同じ!飛行教官も同じ!しかもほぼ同時期!ということで昔話にも花が咲いて盛り上がりました。頭の中には当時の牛の匂いがなぜか...(笑)

45年も前に飛行場を作ってしまった偉大な父親

パイロット資格を持つ人口が1万人に一人いるかどうかわからない日本で、そこまで考える人は、その1万人に一人いるかどうかと言うレベル?そうなると1億人に一人?と言うことは全国に一人?ギネスに乗るかも!

下の写真その空港です。宮城県栗原市のセミネ飛行場です。

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そんなすごいことを考え行動し実際に飛行場を作ってしまった方を父親として見てきたいづみさん。

そんな父親をみて「お父さんが歳をとって耳が遠くなったら自分がお父さんの耳になる!」と父親だったらみんな涙するのではないかと思うほどの親孝行の娘さん。

そんないづみさんが就職した場所は「しょうがい者スポーツレクセンター」しょうがいを持つ方々の支援をする場所になったのは、当然と言えば当然。

アメリカへ航空留学

ヘリコプターの資格を取りたい!と決意し、かわいい娘から「お父さんの耳になる」と言われたお父様はもちろん背中を押してくれたことは言うまでもない。

海外経験もつけなさい。英語も勉強しなさい。とアメリカシアトルのヘリコプタースクールでの訓練が始まるものの、英語の壁が大きく、父親の知り合いの日本人教官を紹介され、カリフォルニアのチノ空港の柳田教官を紹介されたという。

そこで玉那覇と一気に話が盛り上がったという訳。なぜなら玉那覇も柳田さんが最初の教官だったから。しかも時期もほぼ同じ。ニアミス状態。

チノの話で盛り上がっている時に、ラジオ視聴者からのコメントが殺到した(笑)チノでこんなに共通に盛り上がる人たちが大勢いることにびっくりした。やっぱりみんな当時の牛の匂いの話(笑)

実はラジオが終わってから、いづみさんが柳田さんと連絡をとり、玉那覇とラインを繋いでいただき、なんと!3名でライン電話をしたという事実!玉那覇はかれこれ10年以上も会っていなくて、電話番号もわからないし、今時のSNSも柳田さんやってなさそうだし、直接アメリカ行くしかないかと思っていたから、今の時代の便利さに改めて感心。3名で昔話に花が咲き、今年はチノで同窓会をしよう!と決定!

しょうがい者の力に

20年間しょうがい者の支援に携わり、たくさんのことを学ばされましたといづみさん。

しょうがいを持ってもスポーツに打ち込む姿が今では当たり前になっている日本も世界的に見れば遅咲きの国。

しょうがい支援の世界の先進と突っ走っているイギリスが、パラリンピックの発祥の地。その開始何と1948年。

エアロジパングプロジェクト:アースラウンダー(地球一周)の代表者であり実施者である前田さんは片目の見えないパイロット。その支援を世界のどよこりも最初に申し出たのがイギリス。しかもイギリスのしょうがい者航空団体。前田さんの存在を知りいづみさんはお父様の作った飛行場・自身のヘリコプター経験・そしてしょうがい者支援の三つがリンクしたのだと思う。

尊敬する父親が急に聴覚を失くし、本当に父親の耳代わりとなってフライトすることになり、晩年には「しょうがい者の可能性を探しなさい」との遺言をもらうことになった。

下の写真はいづみさん提供の在りし日のお父様のお姿。

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父親の跡を継ぎ、宮城県セミネ場外離着陸場の管理者として、いづみさんご本人は謙遜して修行中とおっしゃっていたが、地元の方々に提供してきた毎年恒例の飛行場まつりや、震災の時にも多くの命を救った防災基地としての場所を守り続ける決心をしている。そして父親からの「しょうがい者の可能性を探す」第一歩を踏み出すことになった。

番組はこれまでのように航空関係者のリスナーはもちろん、それ以外にもいづみさんの千葉の職場関係者も、宮城県の方々、そして海外からも多くの方々にご視聴いただき、番組中の素敵なコメントもいただいた。

そして番組終了後四日後には、感動秘話の続きがあった。いづみさんからの連絡から抜粋したのが下。

「昨日報道関係者から電話がありました。3.11の時、報道ヘリ2名の機長が、仙台空港の凄惨な状況に絶望し、真っ暗な中、飛び続け凍死を覚悟しセミネに着陸。今なお命があり機長として飛べるのは、助けて頂いた佐々木さん(父)のお陰ですと泣きながら、お電話を下さいました。3月の一周忌に花を送りたいとご連絡頂きました。私も全く知らなかったお話しでした。」

お父様の功績が人の命を助け、そして将来の航空人材の育成、そしてそれがさらに人の命を助けることに繋がっている。そう確信した。

宮城県セミネ飛行場まつり!私は今年は行ってみたい!

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今回も素晴らしい出会いに感謝。







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