異教に触れることの意義
あるYouTube動画広告にて見た内容。
皇室の国際基督教大学(ICU)進学を非難する内容。学習院ではなくICUなのはまかりならぬという。なぜ神道国家の象徴ともいえる皇室がにキリスト教系の大学へ進むのかという。更にそこからGHQだのマッカーサーだのと話が移ってゆくお決まりのパターン。
陰謀論と言えばそれまでだが、皇室とはいえ学問の自由を阻害されてよいはずがない。進学先を縛られる必要などどこにもないはずだ。皇室だからこそ国際的な広い知見を得ることが必要なのではないだろうか。
それ以前に日本の神道ってそこまで了見狭いものなの?決してそうではないはず。
他宗を排除するのが神の道なのか?
自教徒のみ救われさえすればそれでいいの?
日本の神々はそんなに狭量なのか?
否、決してそうではないでしょう。その了見ではまるでユダヤ教。
もっと懐深いのが神道でしょう。
神道にもプロテスタント以降のキリスト教にも他宗を排斥してもよいなどという教えはないはずだ。
どんな宗派をも受け容れる、それはとりもなおさずどんな異教を学ぶことも妨げられないということではないでしょうか。そこからふたたび自教へフィードバックしてこそ視野を広げられるというものでしょう。