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「モモ」から学ぶ修論執筆のコツ

わたしも修論を書き終えてるわけではないので、きっとそうなんだろうな、くらいな気持ちで聞いてください。

ミヒャエル・エンデの「モモ」という作品をご存知の方は多いことと思う。
小学生の頃から大好きな作品の一つである。

ところで、個人的には「モモ」がビジネス界隈でもてはやされているのは、非常にアイロニカルで笑ってしまう。
ビジネスの文脈で言われる「時間を大切にする」ことと、モモの中のメッセージは、まるっきり反対のことを言っているのに、なぜかビジネス系の人には刺さるらしい。
一度「モモが面白すぎて、時間泥棒に時間を盗まれてしまった」というコメントをみたことがあったけど、あまりにモモのメッセージを誤解しすぎていて、笑ってしまった。
いや、きっと作品がほんとに面白かったから、なにか気の利いたことを言おうとした結果ちょっと間違えちゃっただけなんだとは思うんだけどね。

モモという作品が述べているのは、合理性と効率化だけを求めるようになった結果、人間らしい余暇やゆとりが失われていくことの恐ろしさであって、それを「時間泥棒に時間を盗まれていく」と表現している。
いやこのテーマを今から50年も前に作品にしていたエンデはすごすぎる。
だからモモを読んで面白すぎてやめられないという豊かな時間が過ごせた人は、むしろ時間泥棒が時間を盗めずに消えていったってことなんだけどな、とか思った。
ビジネスキラキラ系の人が、「モモ」を片手に、(ビジネス的な意味で)有効に時間を使う話をしていたら、なんの皮肉なのかな〜とか思って笑えるよね。

さて話がそれてしまった。
このモモのなかにベッポという掃除夫が出てくる。
ただひたすらに道を掃くことを仕事にしている人なんだが、この人がこんなことを言う。

 「なあ、モモ、」と彼はたとえばこんなふうに始めます。「とっても長い道路を受けもつことがよくあるんだ。おっそろしく長くてこれじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」
中略
「いちどに道路全部のことを考えてはいかん、わかるかな? つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひとはきのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」
 またひとやすみして、考えこみ、それから、
 「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」
 そしてまた長い休みをとってから、
 「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶ終わっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからん。」彼はひとりうなずいて、こうむすびます。「これがだいじなんだ。」
(大島かおり訳・岩波書店刊)

至極名言だ。
目の前にあるその一歩だけに集中する。気づいたときには全部終わっている。
もうこれにつきる。
今で言うところの、マインドフルネスに近いのかもしれないけど、マインドフルネスって言われるよりずっといい。
なぜかベッポに言われると、なんかそうな気がしてくる。

いや、自分も修論なんて終わっていないんだけど、でもこれが大切だということはわかる。
そう、大学院生は、修論を目の前にすると、何十ページというゴールを見て途方にくれてしまう。
でもそうじゃないんだ。
今、ここにある、自分にも書けそうなパラグラフを書く。
よし、できた。
次、目の前の一文を書くのに必要な、引用を引っ張ってくる。
よし、できた。
その次、とりあえず研究の方法論をまとめておこう。
よし、できた。

きっとそれだけなのだろうなと思う。

そんなつもりで、とりあえず今できるパラグラフを仕上げに、私も修論へ戻ります。
もし書いてる人がいたら、一緒に頑張ろうね。
ではまた。


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