フェアなルールで構成された市場のアンフェアな帰結
価格.comが出てきた時は結構な衝撃だった。一円違うだけで、消費者に選ばれるか選ばれないかが決まる。それまでは不完全情報故に、消費者はたまたま目にしたサイトや実店舗で購入するか、せいぜいよく知っている2、3の業者を比較する程度だった。様々なeコマースの金券を扱うGiftissueなどのウェブサービスでは、リアルタイムで最安値がどんどん変わっていく。ただしこれらは、各出品者の供給量に明確な制限があるので、最安値の出品者が全ての需要を奪っていくということにはならない。
しかしある程度以上高い価格しか提示できない業者は、すくなくともこれらのプラットフォーム上では常に負け続けるだろう。ましてや、供給量に実質的にほとんど制限がないようなアプリケーションやウェブサービスなどの財やサービスの場合、ほぼ完全に"winner takes all"の状態になるだろう。ネットワーク外部性が働く場合は更にそれが強固なものであり、一旦寡占状態になれば逆に少々価格が高くてもそれを選ぶしかない。
ところで、消費者にとって1円の違い、10円の近いにどのような意味があるのだろうか。何千円、何万円も違えば別だが、前者のような微小な差異は、正直なところ「どちらでもいい」はずである。それにも関わらず、ずらっと安値順に並んだリストを見せつけられれば、最安値を選ばない理由はない。
この現象は、「過剰マッチング」である。大して費用対効果が変わらないものに消費者が殺到し、その費用対効果のわずかな差からは想像がつかないようなシェアと利益の差が結果として生じる。価格だけではない。サービスの僅かな質の差についても同様である。
もちろん、このメカニズムによって供給側は少しでも安く、少しでも高品質のサービスを目指すため、消費者にとってはそれはありがたいことなのかもしれない。しかし本当にそうだろうか。大して差のないプレーヤーがどんどん淘汰されるため結局寡占状態になり、消費者の選択肢はかえって減ってしまうのではないだろうか。事業者側にとってみても、こういったランキングの上では数字に現れない中長期的に大きな価値を生むチャレンジを極めて行いづらくなっているのではないだろうか。
さらにこの影響は、巡り巡って事業者の「被雇用者」である消費者自身にも及ぶ。
何が言いたいのか。
「市場はアンフェアである」ということである。「フェアなルールで構成された市場のアンフェアな帰結」と言ってもよい。我々はそこまでの過剰最適化を求めてはいない。その影で、多くの発展可能性や多様性が消えている。このようなエコシステムは早晩破綻するであろう。
1)費用対効果が大きく変わる選択については、それを示す情報格差が消費者の格差をもたらすので、消費者に広く情報を流通させることには社会的意義がある。
2)費用対効果がたいして変わらない選択については、どちらを選んでも構わないわけだから、費用対効果が第1位のものを選ばない、「大雑把な選択」に対して何らかのインセンティブが与えられるべきである。
私は、再分配だけではなく情報提供と学習による格差縮小の可能性を探っている。まずは上に述べたような問題への対処が、その端緒になるのではないかと考えている。
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