「これはインタラクティブな作品です」
学生の頃、同じプロジェクトに関わった縁で、上野にあるとある芸術大学の学生が企画したイベントに招待されたことがある。会場ではアルコールや軽食を口にしながら議論をしたり、その学生たちが制作した、ガラスコップを積み上げたインスタレーションを鑑賞したりした。
そのインスタレーションのキャプションには、「これは参加者と一緒に創るインタラクティブな作品です。自由に手を加えてください」といった趣旨のことが書かれていた。何人かの参加者がその作品に近づいて、コップの位置を変えたりしていた。
私は何か他の参加者がしていないことをしてやろう、と思い、手に持っていた飲みかけのビールを重ねられたコップの一つに注いで、その場所から離れた。
ほどなく一人の芸術大学の学生が大変不愉快そうな表情を浮かべながらその作品の場所まで歩いていき、私がビールを注いだグラスを手にとって取り除き、他のグラスに取り替えた。
私はそれを見て、参加者と一緒にとかインタラクティブとか言ってもこの程度なのか、随分狭量だな、とがっかりした。さらには、自分はその作品の含意や文脈を読めない愚かな人間だとみなされたのだな、と思い、いたたまれない気分になった。
しかし、あとになって振り返ってみて、「インタラクティブ性」というものは参加者のみに開放されているのではく、制作者にも当然開放されているのだ、と気づいた。参加者のインタラクションに対して、さらに制作者がどのようなインタラクションを行おうとも、それは作品のインタラクティブ性の範囲なのだ。
つまりあのときの私と彼の行為は単に、何をしようが互いに自由だ、というだけのことだったのだ。