Vega Long Neck Banjo 第3回
5〜60年代にVega社が発売していたバンジョーは、第1回にも書いたようにBluegarssではGibsonに押されて販売が振るわず、廉価な機種は東洋の国からピアレスやナルダン(輸出用は別ブランドでしたが)のようなモデルが入ってきて、唯一の稼ぎ頭がTom Dooleyの大ヒットで当時人気急上昇のキングストントリオが使う「Pete Seeger Model」だったようです。キングストントリオの影響はギターでも同様で、C.F.Martin社のMike Longworth氏によれば「彼等トリオのおかげでD-28の販売台数が急速に増えて、製造ラインを増設しなくてはバックオーダーを捌ききれなくなった」のだそうです・・・同社の公式記録にも下記のように書かれています。
第2次世界大戦後のアメリカの繁栄は人々の生活を潤し、アメリカン・ミュージックも大きく発展していった。そうした中でフォーク・ムーブメントを先駆けに、アコースティック・ミュージックに対する大衆の関心も次第に高まっていく。
この1948年頃から1970年代までのおよそ30年間、マーティン社はかつてない成長の時代を迎えることになる。マーティン・ギターの需要は製造能力の限界をはるかに上回り、1960年代前半にはバック・オーダーを3年分以上抱えていた。
マーティンⅢ世は好況とは逆に、重い責任を感じていた。製造能力があがらなかった大きな原因は工場設備にあった。何回にもわたって増築された工場は複雑に入り組んでいた上、階段も多く生産効率を著しく阻害していた。
「このままではマーティン・ギターに対する需要に応えることはできない」と判断したマーティンⅢ世は新しいギター工場の建設に着手した。1964年のことである。
不振のVega、躍進のMartin、とうとう1970年に当時Vega社のオーナーだったネルソン一族はC.F. Martin 社に会社自体を売る決断をし、生産はボストンからペンシルバニア州ナザレスに移行しました。古い(ボストンの 6 桁の)シリアル番号は、1972 年に #2 から始まる Martin SN に置き換えられました。PS-5 バンジョーは買収後もMartin によって製造されましたが残念ながらラインは 1975 年に廃止されました。
Martin社では合計 101 台の PS-5 が製造されましたがその後、大幅に(ボストン時代のスペックに戻る)モデルチェンジをして、名前もPete Seeger ModelからA.C.Fairbanksになり(私たちはT2-XLと呼んでいるモデル)CF マーティンの工房日誌によると、オープンバックの普通ネック仕様T2-5 バンジョーを 29 台(ロングネックのT2-XLは25台)製造しました。
その後は1979年、韓国の複合企業ギャラクシーへVega社は譲渡され、1989 年にDeering社がVegaの権利を購入してMade in U.S.A.へと復活した次第です。
あと少し・・続く