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上品とか気品って何?

久しぶりに某ライブハウスで演奏したら、立地条件なのか?それともご一緒した演者の方々の顔見知りなのか?聴きに来られたお客様の方々がとても上品な佇まいをお持ちの人が多かったので、この辺りを少し考えてみようと思います。

こんな話もあります、某日神戸の旧居留地にある百貨店へ出掛けた時、何人かの「気品が漂う」ご婦人や、素敵なご夫婦に出会えました。このお店では良くこんなお客さんに遭遇します。

また、マルーン色電車の中で注意深く観察していると、同じような年齢の方でも、何処となく雑な感じのする、着衣の着こなしや歩き方とか座った姿勢の人と、然程高価な衣服ではないのに品の良い着こなしや立ち居振る舞いの人がおられます。

その「上品さ」とか「気品」というのは何なんでしょうね?

先ず考えたのは、時間や金銭的な余裕があるのか? という点です。「衣食足りて礼節を知る」という格言の通り、経済的に余裕のない人に、自分の外見や姿勢、歩き方や食べ方などを振り返る時間や気持ちは無いと思います。しかしお金や持ち物に満たされているとしても、次から次へと用事のある人、つまり時間的に余裕のない人も己を省みることは出来ません。
次に思い浮かんだことは、気持ちの余裕がある人か? 常に自分中心で他人の目や気持ちを考えない人には気品があるとは思えません。

以前、HSPについて書いたことがありますが、この時に「敏感ではない人たち」にはあまり言及しませんでした。しかし、気品の高さと色々な事に敏感か鈍感か?は、関連性があるのでしょうか?あまり外部からの雑音に敏感過ぎると駄目なんだと思いますが、逆に色々なことに感度が薄いと(言葉は悪いけど鈍感)品位が無い人になりやすいと思います。

では、育った環境なのでしょうか? 私立の中高一貫校から偏差値の高い大学で学んだから上品かと言えば、決してそんな事はありませんし、むしろ彼らは自意識過剰さの故に品格に欠ける場合が多いと感じます。但し、幼少期に正しい食事の仕方、挨拶の仕方、そのほかの立ち居振る舞いを教えて貰った人は気品のある大人に成長する可能性は高いのではないでしょうか?これは学校教育より「家庭環境」に左右されることなのかもしれませんね・・

其のことで思い出しましたが、一緒にお食事をすると、相手の品格がよく分かります。私事で恐縮なのですが、私は長い間箸の持ち方が間違っていました。そのため魚を上手に食べる事が出来なくて、おそらく焼き魚を食べる姿が下品だったと思います。かなりの時間をかけて箸の握り方を矯正したので、秋刀魚でも太刀魚でも(魴鮄は苦戦しますが)何とか丁寧に食べれるようになりました。子供の頃に喧しく食事の躾をされなかったように記憶しています。

また、これは仕事に就いてから上司に指摘されたことですが「悪口を言わない」ように釘を刺されました。ライバル社の担当者と何度も苦戦していると、ついつい「あのボケナスの◯◯が‼️」と社内の会議で発言した時に「たとえ競合しているライバル社でも、敬意を持って◯◯さんと言いなさい」と嗜められ、その意図を伺うと「普段から下品な言い方をすると客先でついつい、其の癖が出ることがあるので気をつけるように」と教わり、自分の至らなさを恥じました。

・・ということで、結論が出ないまま考察は続きます(笑笑)

続編はこちら⤵️

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