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映画についての備忘録。なかなか日本でまとまった評論や紹介文が読めない映画についてまとめています。

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マガジン

  • ベスト・フィルムズ

    年間ベストやその他個人的なフェイバリットをまとめています。

  • 偉大なるサイレント映画の世界

    真に偉大と呼びうる映画は、サイレント映画だ。 その偉大さに少しでも接近したいという試み。そして少しでも発見したいという贅沢な望み。

  • 戦前・戦中期フランス映画再見

    ヌーヴェル・ヴァーグ以後の映画史観において、戦前あるいは戦中期のフランス映画は、ジャン・ルノワールばかりがもてはやされている。本当に観るべき作品はないのか。今一度戦前・戦中期のフランス映画を観てみたい。

  • 映画をめぐるメモランダム

    ある映画について、あるいはある映画作家についてあるいは…… 21世紀の日本で言及されることの少ない作品や作家についての備忘録です。

  • プレ=コード・ハリウッド

    プレ=コード期――ヘイズ・コードが成立してから強い効力を発揮するまでの、1930年代前半の合衆国で撮られた、セクシャルで、アンモラルで、アナーキーで、バイオレントな映画たちについての記事をまとめています。

最近の記事

2023年フェイバリット・フィルムズ

 誰が虐殺を好むというのか。パレスチナをめぐる中東の問題を詳らかに語れるほどにその歴史や民族の問題に精通しているわけではない私ではあるが、いかなる事情があったとしても民族虐殺を肯定することはできないというのが人間的立場であると思うのだが、世の中はそうではなく、パレスチナを支持するハリウッドの役者はその仕事を奪われ、スティーヴン・スピルバーグ Steven Spielberg は無邪気にイスラエル支持を表明するだろう。この事態はいったい何だというのか。ハリウッドは赤狩りの時代を

    • あなたはGeorg af Klerckerを知っているか?

       映画は、時に、思いがけぬ遭遇を組織する。それは、スウェーデンという北欧の一国におけるサイレント映画の作家といえば、やがて合衆国に渡ることにもなるマウリッツ・スティッレル Mauritz Stiller とヴィクトル・シェストレム Victor Sjöström あたりを知っておきさえすればよかろうと高をくくっている(とはいえ、彼らの作品もじゅうぶんに視界に収めているとはとてもいえない)私を深く恥じ入らせ、いっぽうで不意の遭遇に興奮を抑えられず、もどかしくも筆を執らせもする。

      • 2022年フェイバリット・フィルムズ

         新型コロナウイルス感染症の猛威は衰えることを知らないし、その時点ではたかだかひとりの国会議員ではあるものの、首相経験者が、呆気ないほどに容易く殺害されてしまうのだから、底が抜けてしまったような恐ろしさを感じる。ふとヨーロッパに目を向ければ、武器を取り合う両国の為政者は、(正しいとか正しくないとかはべつに)それぞれにきな臭い連中ばかりだし、それは日本の岸田某も例外ではない。ことによると、政治家であることの条件は、きな臭さなのかと思われさえする。そのきな臭さは、紛れもなく政治的

        • MGMの無視された愉しみ

           11歳の少年トーマス・クレイトン・キャンベル・ジュニア Thomas Clayton Campbell Jr. を演じるリッキー・ネルソンRicky Nelson が、ベッドに寝て、エセル・バリモア Ethel Barrymore から受け取ったリボンを右人差し指に巻きつけてこめかみにあてる。目をぎゅっとつぶり、エセル・バリモア演じるヘイゼル・ペニコット Hazel Pennicott の名前を呟き、続けて1から7までカウントアップする。旋律はいよいよ高まり、カットが変わり

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        • ベスト・フィルムズ
          3本
        • 偉大なるサイレント映画の世界
          2本
        • 戦前・戦中期フランス映画再見
          4本
        • 映画をめぐるメモランダム
          8本
        • プレ=コード・ハリウッド
          10本

        記事

          ラオール・ウォルシュのアクションを再発見する

          商品としての映画  ついさっき抽斗から取り出したはずの拳銃は紛れもなくコルトであったはずなのに、いまやその手に握られているのはルガーにすっかり変わってしまっている。これは時に肯定的な文脈において使用される「つなぎまちがい」といった創造的な地平ではなく単なる誤謬なのだが、この種の誤りを融通無碍に肯定してしまうというか、誤りのままとどめおいてしまうのは、第二次世界大戦前あるいは戦中期の映画に許された寛容な風土といったものではなく、この映画が単なる資本主義的な「商品」にすぎないと

          ラオール・ウォルシュのアクションを再発見する

          画面の魔力に絡めとられることの幸福さについて――フランク・ボーゼージ監督『ムーンライズ』(Moonrise,1948)

           何かが画面に映っているのだが、それが何かを明確に把握することができない。モノクロ、スタンダードの画面に映る輪郭の判然としない白と黒のグラデーション。やがてキャメラがそのピントを合わせると、その答えが明らかになる。それは、複数の男のスーツを纏った足の反映なのだが、キャメラはやがて右にパンし、画面手前に向かって歩いてくる3人の男の足そのものを捉えることになる。とはいえその男たちが何者であるかはわからない。あくまで男たちの足が映し出されているだけであって、彼らが何者で、いま始まっ

          画面の魔力に絡めとられることの幸福さについて――フランク・ボーゼージ監督『ムーンライズ』(Moonrise,1948)

          画面ごとに「これが映画だ」と呟くことしかできない恐るべき映画について――ルイ・フイヤード監督『ティー=ミン』(Thi-Minh,1918-19)

           映画とは『ティー=ミン』(Thi-Minh,1918-19)のことである。かような断言をふと呟かせてしまう恐るべき作品というのが存在する。ルイ・フイヤードLouis Feuilladeが第一次世界大戦の末期に撮り上げた『ティー=ミン』は、そのような作品である。  フイヤードは、これまですでに、映画史上の傑作というべき、全5部作の『ファントマ』(Fantômas,1913-14)、『レ・ヴァンピール 吸血ギャング団』(Les vampires,1915-16)、『ジュデック

          画面ごとに「これが映画だ」と呟くことしかできない恐るべき映画について――ルイ・フイヤード監督『ティー=ミン』(Thi-Minh,1918-19)

          コロナ時代の演じられた世界に目を凝らすこと――アベル・フェラーラAbel Ferrara監督『ゼロズ・アンド・ワンズ』(Zeros and Ones,2021)

           リュミエール兄弟frères Lumièreからの伝統であるかのように、ローマに列車が到着することからもの語りはじめる。列車には兵士が乗り込んでおり、その身支度の様子をキャメラは捉えているが、われわれはそのとき、彼の口元をマスクが覆っていることを見逃すことはない。やがて兵士が列車を降り歩き始めると、その背後には消毒をしている男性の姿も見えるだろう。フィクションの世界ではあるが、2020年代に突入して以降の、いわゆる「コロナ禍」と呼ばれる現在を反映している。とはいえ、すぐさま

          コロナ時代の演じられた世界に目を凝らすこと――アベル・フェラーラAbel Ferrara監督『ゼロズ・アンド・ワンズ』(Zeros and Ones,2021)

          2021年フェイバリット・フィルムズ

           2022年を迎えるにあたり、昨年一年を振り返ってみたい。  2021年という年は、世界的には2020年初頭から続く新型コロナウイルス感染症に苦しめられた一年であり、度重なる「変異株」とやらの出現により、いまなお終息を見通せない状況下にある。日本という国では、オリンピック及びパラリンピックが開催され、それなりのひとびとの関心を集めたようだが、わたし自身は、あの愚かな祭典にささやかな関心ひとつ抱くことはできなかった(ひとついいそえておくと、わたしはスポーツ選手――ここに種目や競

          2021年フェイバリット・フィルムズ

          女たちは、歌をうたいながら死と戯れる

           調子の外れた歌声を響かせながら、手持ちのキャメラがビルディングの垂直性を強調すると、急ぎ足でひとりの女の子が郵便受けの手紙を手早く確認し、エレベーターを呼ぶためにボタンを連打するが、待っていられず階段を駆け上がることにする。ジャン=リュック・ゴダールJean-Luc Godardの『気狂いピエロ』(Pierrot Le Fou,1965)に影響を受けて映画を撮り始めたひとりの女性によって撮られた即興性に満ちた作品のように思われもするこの作品が、いまや鬼籍に入ってしまったが、

          女たちは、歌をうたいながら死と戯れる

          ダイナミズムと適確さ、またはカーク・ダグラスはなぜリッカルド・フレーダを怖れたか――リッカルド・フレーダ監督『剣闘士スパルタカス』(Spartaco,1953)

           移民の子として貧民街に暮らしたカーク・ダグラスKirk Douglasは、1960年に自らが主演と製作総指揮を兼ねる形で『スパルタカス』(Spartacus,1960)を製作する。この映画でハリウッド・テンHollywood Tenのひとりとして赤狩りの影響で排斥された脚本家ダルトン・トランボDalton Trumboを起用することで彼の表舞台への復帰を援助したり、当初監督にアンソニー・マンAnthony Mannを起用したりするなど、ハリウッド・フィフティーズに浅からぬ因

          ダイナミズムと適確さ、またはカーク・ダグラスはなぜリッカルド・フレーダを怖れたか――リッカルド・フレーダ監督『剣闘士スパルタカス』(Spartaco,1953)

          視聴覚の、視聴覚による、視聴覚のための映画ーードン・ワイズ監督『熱砂の女盗賊』(The Adventures of Hajji Baba,1954)

           かつて映画は知性的であることがその評価基準とされた。そこでは、監督と呼ばれる人物の思想や主張がこめられた映画がその評価を高め、そうではない映画が低い評価を被ることとなる。日本においてはそれに反発する姿勢で蓮實重彦氏が「表層批評」と呼ばれる地平を切り拓いたのだったが、「かつて」と書いたものの、今なお「現在」の「社会情勢」であったり「社会問題」であったりという呼ばれ方をする題材を得た映画(さしあたり「社会派映画」と呼んでおこう)が注目を集めることも少なくない。いっぽうで「作家映

          視聴覚の、視聴覚による、視聴覚のための映画ーードン・ワイズ監督『熱砂の女盗賊』(The Adventures of Hajji Baba,1954)

          ヴィットリオ・コッタファーヴィ監督による「古代史劇映画」についての覚書

           われわれは、ヴィットリオ・コッタファーヴィVittorio Cottafaviと呼ばれるひとりのイタリア人について、ほとんど何も知ってはいない。なるほど確かに少しGoogleで検索すれば、ヴィットリオ・コッタファーヴィなる人物が王立陸軍の将校の息子という金銭的にも社会的身分の上でも恵まれた家系に属することはすぐに明らかになるだろう。だがそのことは、この人物を語る上でさしたる意味を持ってはいないと思う。終戦間近のイタリアで映画監督として表舞台に登場することとなるこの人物は、そ

          ヴィットリオ・コッタファーヴィ監督による「古代史劇映画」についての覚書

          アメリカ映画を禁じられたフランスで突如誕生したアメリカ映画――アベル・ガンス監督『キャプテン・フラカス』(Le Capitaine Fracasse,1943)

           1943年だから、戦前というよりは戦中というべきであることは重々承知している。その上でなおこの映画に触れようと思うのは、アメリカ映画の公開が禁止されたヴィシー政権下のフランスで、突如としてアメリカ映画が誕生し、しかもそれが滅法面白いからだ。 『戦争と平和』(J'accuse,1919)や『鉄路の白薔薇』(La Roue,1923)、『ナポレオン』(Napoléon,1927)といったサイレント映画で名声を勝ち得たアベル・ガンスAbel Gance監督が手掛けたトーキー映画で

          アメリカ映画を禁じられたフランスで突如誕生したアメリカ映画――アベル・ガンス監督『キャプテン・フラカス』(Le Capitaine Fracasse,1943)

          サウンドが次の展開を導き入れる――アナトール・リトヴァク監督『リラの心』(Coeur de lilas,1932)

           兵士たちが姿勢を正し、整然とした隊列を組んで歩く。キャメラは斜めの位置から正面にその様子を捉えている。やがて隊列はキャメラを追い越していき、キャメラもパンし、子どもたちがその隊列を真似るように兵隊ごっこしている様子を捉える。しかし、子どものひとりが戦争はいやだというと、警官ごっこに切り替えて泥棒と警官に分かれて追いかけっこに興じる。そこで子どもたちは、土手に倒れる男の死体を発見してしまう。辺りはにわかに活気づき、野次馬たちが集まり始める。そこへ笛を鳴らし、警官たちも駆けつけ

          サウンドが次の展開を導き入れる――アナトール・リトヴァク監督『リラの心』(Coeur de lilas,1932)

          ファンタスティックなムードの抗いがたい魅力――クリスチャン=ジャック監督『サンタクロース殺人事件』(L'assassinat du Père Noël,1941)

           ナチス占領下のパリにひとつの映画会社が誕生する。ゲッベルスPaul Joseph Goebbelsによって、ウーファUniversum Film AGのフランス支社として誕生したこの映画会社がコンティナンタル映画社La Continental Filmsと呼ばれることは、よく知られている。この映画会社がアンリ=ジョルジュ・クルーゾーHenri-Georges Clouzotを表舞台に押し上げたこともやはりよく知られているが、この映画会社の第1作になったのは、クリスチャン=ジ

          ファンタスティックなムードの抗いがたい魅力――クリスチャン=ジャック監督『サンタクロース殺人事件』(L'assassinat du Père Noël,1941)