最近の記事
マガジン
記事
画面ごとに「これが映画だ」と呟くことしかできない恐るべき映画について――ルイ・フイヤード監督『ティー=ミン』(Thi-Minh,1918-19)
映画とは『ティー=ミン』(Thi-Minh,1918-19)のことである。かような断言をふと呟かせてしまう恐るべき作品というのが存在する。ルイ・フイヤードLouis Feuilladeが第一次世界大戦の末期に撮り上げた『ティー=ミン』は、そのような作品である。 フイヤードは、これまですでに、映画史上の傑作というべき、全5部作の『ファントマ』(Fantômas,1913-14)、『レ・ヴァンピール 吸血ギャング団』(Les vampires,1915-16)、『ジュデック
コロナ時代の演じられた世界に目を凝らすこと――アベル・フェラーラAbel Ferrara監督『ゼロズ・アンド・ワンズ』(Zeros and Ones,2021)
リュミエール兄弟frères Lumièreからの伝統であるかのように、ローマに列車が到着することからもの語りはじめる。列車には兵士が乗り込んでおり、その身支度の様子をキャメラは捉えているが、われわれはそのとき、彼の口元をマスクが覆っていることを見逃すことはない。やがて兵士が列車を降り歩き始めると、その背後には消毒をしている男性の姿も見えるだろう。フィクションの世界ではあるが、2020年代に突入して以降の、いわゆる「コロナ禍」と呼ばれる現在を反映している。とはいえ、すぐさま
ダイナミズムと適確さ、またはカーク・ダグラスはなぜリッカルド・フレーダを怖れたか――リッカルド・フレーダ監督『剣闘士スパルタカス』(Spartaco,1953)
移民の子として貧民街に暮らしたカーク・ダグラスKirk Douglasは、1960年に自らが主演と製作総指揮を兼ねる形で『スパルタカス』(Spartacus,1960)を製作する。この映画でハリウッド・テンHollywood Tenのひとりとして赤狩りの影響で排斥された脚本家ダルトン・トランボDalton Trumboを起用することで彼の表舞台への復帰を援助したり、当初監督にアンソニー・マンAnthony Mannを起用したりするなど、ハリウッド・フィフティーズに浅からぬ因
視聴覚の、視聴覚による、視聴覚のための映画ーードン・ワイズ監督『熱砂の女盗賊』(The Adventures of Hajji Baba,1954)
かつて映画は知性的であることがその評価基準とされた。そこでは、監督と呼ばれる人物の思想や主張がこめられた映画がその評価を高め、そうではない映画が低い評価を被ることとなる。日本においてはそれに反発する姿勢で蓮實重彦氏が「表層批評」と呼ばれる地平を切り拓いたのだったが、「かつて」と書いたものの、今なお「現在」の「社会情勢」であったり「社会問題」であったりという呼ばれ方をする題材を得た映画(さしあたり「社会派映画」と呼んでおこう)が注目を集めることも少なくない。いっぽうで「作家映
アメリカ映画を禁じられたフランスで突如誕生したアメリカ映画――アベル・ガンス監督『キャプテン・フラカス』(Le Capitaine Fracasse,1943)
1943年だから、戦前というよりは戦中というべきであることは重々承知している。その上でなおこの映画に触れようと思うのは、アメリカ映画の公開が禁止されたヴィシー政権下のフランスで、突如としてアメリカ映画が誕生し、しかもそれが滅法面白いからだ。 『戦争と平和』(J'accuse,1919)や『鉄路の白薔薇』(La Roue,1923)、『ナポレオン』(Napoléon,1927)といったサイレント映画で名声を勝ち得たアベル・ガンスAbel Gance監督が手掛けたトーキー映画で
ファンタスティックなムードの抗いがたい魅力――クリスチャン=ジャック監督『サンタクロース殺人事件』(L'assassinat du Père Noël,1941)
ナチス占領下のパリにひとつの映画会社が誕生する。ゲッベルスPaul Joseph Goebbelsによって、ウーファUniversum Film AGのフランス支社として誕生したこの映画会社がコンティナンタル映画社La Continental Filmsと呼ばれることは、よく知られている。この映画会社がアンリ=ジョルジュ・クルーゾーHenri-Georges Clouzotを表舞台に押し上げたこともやはりよく知られているが、この映画会社の第1作になったのは、クリスチャン=ジ