打倒せよニヒリズム

SNSというものは日本のみならず世界中で今や必要不可欠なものとなり実生活と切っては切れない関係となった。朝電車で通勤するサラリーマンはスマホでニュースを読み、学生らは音楽を嗜み、好みの子とインスタのDMで話している。確かにこう見るとスマホのおかげで生活が向上したのは確かな事だ。しかしながら僕は、恐らく誰もが思っているであろう問題を提起したい。それはSNS上に瀰漫するニヒリズムである。


SNSには、名前を挙げるとX(Twitter)にはよくある政治家の汚職事件に対する憤りが散見される。確かに汚職事件を起こした政治家が悪いのは当然だがいかんせん僕はやり過ぎのような感じがするのである。SNSを使っている人間が悪というものに対して敏感になり過ぎている様な気がするのだ。そうして「この国は駄目だ」「もう終わりだ」と嘆息するツイートが多く見られる。政治家という職業そのものが悪いものと認識してしまう程だ。また僕はもう一つの重要で非常に危険な問題があるように感じられる。それはインターネットと共に成長してきた今を生きる若者がインターネットのニヒリズムに毒されていないかということである。


今を生きる若者が毎日インターネットでの愚痴や嘆息を受けていたらどんな人間に成長するだろうか。これは私の予想だが悲観的で無気力な人間が誕生してしまうだろう。すべてが煩わしく、堕落し、なにもせず一日を終えてしまう、ニーチェの言葉で言わせると末人という存在が溢れてしまう。これは未来の話では決してなくもしかすると今現在から始まっているかもしれない。


そんな未来を迎えないためにはどうすればいいのか?
極論、SNSをやらないのが最もいいのだが到底そんなことは出来ない。
そこで私はあえてニヒリズム的投稿を無視すれば良いと思う。上にも書いてあるが、ニヒル的投稿を見ると見た自分もどこか悲観的になってしまう。そしてその悲観の延長線上に未来の自分の性格が映し出されるだろう。


さて、ここからは私の無駄話になるが、このような未来にならないように私は実存主義についてよく考える。ここで実存主義についてもう一度整理しよう。実存主義とは19世紀以前の客観的真理に代わり主体的真理を求める動きの中で誕生した。実存主義を端的にいうと主体的に生きるという考え方で19~20世紀に世界を席巻した。この考えを現代に適用すると他人の他人に対する嫉妬、嘆息、憤りが跋扈するSNSの影響を受けずにのびのびと生きることが可能となるのだ。どんな本を読めばいいのかと言えば私のおすすめはやはりニーチェやサルトルだろう。

最後になるが今日本で蔓延しているニヒリズムを私たちは打倒しなければならない。今からでも決して遅くはない。いざ、打倒せよニヒリズム



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