バウンシー

仏教を学んでいます。また稚拙な文なので読みにくい場合が多々あります。その場合はご寛恕く…

バウンシー

仏教を学んでいます。また稚拙な文なので読みにくい場合が多々あります。その場合はご寛恕ください。

最近の記事

昔、学校の教師が「大事なことだから一回しか言いません。」と言っていたが、私から言えば本当に大事なことをわざわざ他人に言う必要は無いんじゃないか。

    • もうすぐ夏が終わりますね。夏空を見るのが好きでした。来年また見れるように生きたいですね。

      • ドスケベ条例と正義論について

        ぬきたしをプレイしていると、ふとドスケベ条例について考えてみたくなった。この単純な疑問がこの記事を書こうとした濫觴である。この記事では二部構成となっている。第一部ではドスケベ条例の持つ潜在的な力を正義論を駆使して明らかにし、打倒しようと試みた文章である。続いて第二部では私たちの心に内在している無意識の偏見からどう脱するか綴った文章である。 そもそもぬきたしとは何なのか?ドスケベ条例なんて卑猥な名前の条例とは一体何なのか?ハメドリ君がうざい。なんて思う人は多いだろう。まずはそ

        • 昨日のこと

          大学も夏休みに入り、私は久々に実家に帰ることが出来た。私の実家は北陸の一角にあり、周りには温泉が多く湧いている。今日日なかなか見ることの出来ないのどかな田園風景が広がっている美しい場所。それが私の故郷である。 実家に戻りかつての自分の部屋から見た風景は上京する際に見た景色とちっとも変わらず、どこか嬉しく感じた。長きにわたる都会での生活により精神面で疲弊しきった私にはこの景色が際立って美しく見えた。こうも美しいのならばいっそ大学を辞めこの景色をずっと眺めていようとする気概さえ

        昔、学校の教師が「大事なことだから一回しか言いません。」と言っていたが、私から言えば本当に大事なことをわざわざ他人に言う必要は無いんじゃないか。

          いつも自分の論理に矛盾を発見して口ごもる

          いつも自分の論理に矛盾を発見して口ごもる

          歴史の教科書に載る方法

          人間誰しも自分も教科書に載ってみたいと考えたことがあるだろう。私だってそうだ。教科書に誰かの顔が載っているのを見てうらやむことが多々あった。私の顔も載ってほしい、功績を綴ってほしい。と、いっても今日の世の中になって教科書に載るなどほぼ不可能だがなんとかして載る方法を考えて見た。これを読んで教科書に載りたいと感じている人は実践してほしい。 教科書といっても昨今様々な教科書がある。今回は歴史(日本史)の教科書に載る方法に限定して考えてみよう。 まず歴史の教科書に現在載っている

          歴史の教科書に載る方法

          常に死ぬことを意識して生きた方が人生幸せになりますよ。常に死を意識するとは良いことです。

          常に死ぬことを意識して生きた方が人生幸せになりますよ。常に死を意識するとは良いことです。

          いつか遠野物語を読みながら、遠野を歩いてみたいですね。当時の面影が少しでも残っていて欲しいです。

          いつか遠野物語を読みながら、遠野を歩いてみたいですね。当時の面影が少しでも残っていて欲しいです。

          一寸先の幻想

          少し、高校時代の登校中のルーティンを思い出した。今日はそのことについて書いていこうと思う。 私は家から高校までほぼ毎日バスで通っていた。40分程と時間がかかるので音楽を聴きながら、また単語帳を読んでいるふりをしながらバス停までの暇をつぶしていた。バスの窓から見える朝の陽光に照らされた木々は実に美しく意気軒昂としていた。雨の日には、晴れの日とはまた違うどこか時の止まったかのような風情を醸し出していた。 そうこうしていると、バス停に着き運転手に一瞥して降りていく。そこから高校

          半世紀前の闘争

          前書き 前書きとなるが現在アマゾンプライムで配信されている「三島由紀夫vs東大全共闘50年目の真実」を視聴して感じたことを書いていくつもりである。まだ見たことのない方はぜひ視聴することをお勧めする。 いまから約半世紀前、明日には革命が起こるといわれていたあの年の少し後、東京大学にある900番教室である討論が行われた。約1000人を前にたった一人で壇上に上がったのはこの男、そう昭和を代表する小説家、三島由紀夫である。三島と言えば、金閣寺、潮騒、仮面の告白などといった名だたる

          半世紀前の闘争

          打倒せよニヒリズム

          SNSというものは日本のみならず世界中で今や必要不可欠なものとなり実生活と切っては切れない関係となった。朝電車で通勤するサラリーマンはスマホでニュースを読み、学生らは音楽を嗜み、好みの子とインスタのDMで話している。確かにこう見るとスマホのおかげで生活が向上したのは確かな事だ。しかしながら僕は、恐らく誰もが思っているであろう問題を提起したい。それはSNS上に瀰漫するニヒリズムである。 SNSには、名前を挙げるとX(Twitter)にはよくある政治家の汚職事件に対する憤りが散

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