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半世紀前の闘争

前書き

前書きとなるが現在アマゾンプライムで配信されている「三島由紀夫vs東大全共闘50年目の真実」を視聴して感じたことを書いていくつもりである。まだ見たことのない方はぜひ視聴することをお勧めする。


いまから約半世紀前、明日には革命が起こるといわれていたあの年の少し後、東京大学にある900番教室である討論が行われた。約1000人を前にたった一人で壇上に上がったのはこの男、そう昭和を代表する小説家、三島由紀夫である。三島と言えば、金閣寺、潮騒、仮面の告白などといった名だたる小説を執筆した訳だが、この頃の三島は政治活動にも積極的に参加していた。当時の情勢は前述した通り革命を目論む左翼運動が頻繁に発生しており、三島はこの運動を嫌悪し、対抗しようとしていた。当時三島自ら組織していた楯の会で革命運動に対して抵抗していた。そんな矢先に東大に招かれ単身で乗り込み戦ったのだ。


ここからは、内容を詳しく紹介、概説していきたいところだが、私の頭では内容がとてもじゃないが理解できなかったため、私が視聴し、印象に残った場面を幾つか紹介していきたい。まずは、三島が討論を始める前に10分ほどスピーチした場面である。実際に映画を視聴してみると分かるが非常に温和な雰囲気で討論を始めようという気概を感じ取れる。敵として見ていないのである。思想は違えど三島は彼らに対し優しく、説得しようとしているのである。これは映画の中で内田樹氏が言っていたことだが、私も宜なるかなといった所である。


さて、討論を45分ほど続けているとある論客が登場する。東大全共闘C 芥正彦 である。赤ん坊を抱き、明らかに異質な風貌、彼の登場により重々しかった場の空気は一変する。解けたようなそんな感じである。そこからは三島と芥の非常に高度な言葉の戦いとなる。自然との関係の問題、空間の問題、時間の問題、形態の問題、革命に対しての持論のぶつけ合い、そんな激戦の最中にも、三島の性格がうかがえる。学生の質問や批判にユーモラスに諧謔心を持って反論する場面が見られる。また芥が呑んでいる煙草に火をつけ、三島と共有するシーンがあり私はこれを見て感銘をうけた。上にも書いたことだが、思想が違うのに学生時代の親友とするかのようなことを私は出来ないし、今現在出来るひとはまぁいないだろう。話は逸れるが、いま言った討論の中の一種の尊敬というものは現代の今日にあるのだろうか?国会での討論を例に挙げると思想の違う相手に対し親の敵のように反論し相手の全てを否定する場面がよく見られる。SNS上での喧嘩もそうだ。嫌だと思う相手を全て否定し、忌み嫌う。自分の考えとは違う相手を悪と認識し、拒絶する。到底あるとは言えないだろう。願望だが、今に生きている人に思想は違えど、相手への尊敬を忘れないでほしいものだ。



討論も終わりに近づき問題は天皇へと移る。内容に関してはとくに説明しないが、討論の〆に三島の素晴らしくもどこか空しい言葉で返す場面がある。これもまた諧謔的に返答し、会場を沸かせた。美しい言霊を教室内に飛び立たせ、はためかせ三島と東大全共闘の討論はここに終結した。三島はこの出来事を愉快な経験と綴っている。この出来事の一年半後、三島は市ヶ谷自衛隊駐屯地で切腹自殺を遂げた。


最後になるが、当時の革命に走った若者らは今の政治的、民主主義的なリーダーとなっている。権力に対抗した者たちは今や権力を振り回している。あの頃の無益だったが皆が持っていた熱意はどこにいったのか。結局は自分たちが権力を欲していただけではないか。私はここに一つの問題を提起したい。あの頃の革命意識はファッションではなかったのだろうか?皆がやっていたから自分もやろうといっただけではないか。熱意が無ければやる意味とは?






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