家族に頼れない私は不幸か
ここは
正直に心の中を記していこうと思っている。
誰も私だと知らない場所で書く私の
この文章も
私も
私っぽいかと言われると
私っぽくない。
誰かの前で
いる私が
私だと思っているからか?
私っぽいって何なのかなとさえ思う。
ところで
昨日海外のある地について
友人と合流
友人は仲間たちと食事に出かけたが
私は行かなかった。
今日の朝の観光も断った。
こうなってくると
つくづく病気になったんだなぁと
感じて
まだまだ辛さを感じる。
私は人一倍行動力があり
いろいろなことを
やってきたタイプだからだ。
せっかくきたのに
もったいない。
心で
この「せっかく」が出た時は
要注意。
損したくない
ケチくさいところから出ている
思考だ。
身体に聞いてみたら
「いきたくない
ゆっくりしたい」
と言った。
この身体との対話が
発病後
始めたことだ。
本当に
本当に
長い時間
私は身体が悲鳴をあげても
仕事に邁進した。
私の仕事は
やりがいのある
替えがきかない仕事で
いのちをかけてでも
やりたいと思っていた。
仕事が生きること
だった。
でも
今
私はその仕事が今後どのくらいできるだろうかと立ち止まっている。
昨日
ステロイドを使って
元気に生活を普通に送っている
方の動画を見た。
とても魅力に溢れていた。
だが
どうしても
ステロイドを使う気持ちになれない。
その方に
ステロイドはあっているのだろうが
私の直感が
ステロイドとか
免疫抑制剤は
ngと言ってくる。
娘がこの病気になった医師が
ステロイドを使いたくなくて
メガビタミン投与で
なおったという記事を読んだ。
西洋医学以外で
手段があるなら
今の私はそちらを選びたい。
今
私が採用しているのは
ある治療器で
海外にも持ってきて
多くの時間
それで治療している。
身体に装着したら
動けるので
非常にありがたい。
とても高価なものだったが
ある方が
なおすために応援すると
言って
その治療器を購入するお金を
貸してくださった。
私は事業をやっているので
無理すれば
自分で購入できるのだが
今後もし
眼筋型から
全身型への進行をした場合
仕事ができなくなるかも
しれない可能性を考えると
その購入費は厳しかった。
その方は
「無理するな」と言って
ポンとお金を貸してくれた。
今の私は
そのnさんと
昨日書いた聖者のo
さんに支えられている。
結局
家族ではないところに
気づくことがあった。
私は
事情により家族に頼れないのだが
そのおかげで
助けてくれる人ができた。
私の父は
病気で障害を持ち
長い闘病生活を母が支えた。
父が死んだ時
母は悲しんだが
父がいなくなって以降
母は寂しいよりも
やりたいことをたくさんやって
楽しそうだ。
そんなことを鑑みる時
家族だけに
家族だからという理由で
支えてもらうことは
問題があるかもしれないと思った。
この病気になった当初
世話をお願いできる家族がいないことに
不安で泣いていた。
でも
今は
世界を
そして
社会を信じることが
徐々にできている。
障害者に世界は優しい。
一人ぼっちで
食べるものもなく
死んでいくことはないだろう。
そう思うと
大手を振って
助けを求められる病気や障害は
いいのではないかと思う。
誰にも助けを求められない
健康で
孤独の人のこと
(若い時の私
そしてこの前までの私がそうだった。
なんでも自分でやらなければと
思っているし
実際できると思っていた)
そんな人の方が
厳しいのではないかと思う。
今日から2週間の旅。
問題は
私が病気を明らかにしていないこと。
心の旅路は長い。