愛情が欲しくて難病になる浅ましさ

あと数日で旅の終わり。
帰国する。

天の導きかと思うように
同室の方が
旅慣れていて
私が難病とは知らずに
いろいろ先導をしてくれた。

できないこことが増えているのを
突き付けられている数日だった。

目の状態は変わらずだが
歩くと
足が非常にだるくなる。

私の病気は
筋肉が疲れると
力が入らなくなる病気で

いつ
立てなくなるだろうという
恐怖と戦っている。

今回も
みんなが歩いて登った
二つの場所をパスした。

あと
1箇所は歩いたけれど
常に不安との隣り合わせ。

一緒に行くみんなは
気力に満ちて
ビジネスで頑張る気持ちも高い。

この旅で
改めて気づいたのは

捨てる

諦めること

非常にネガティブに聞こえるだろうが

捨てないと
私は全力で
ビジネスをやってしまう。

でも
私がしたいことは
金儲けではない。

もちろん今後を考えれば
お金を稼いでおきたいが。

それよりも
人々を感動させる仕事を
したい。

それは
私しかできないこと。

今日
東欧の小さな教会で
病気の快癒を祈った。

今はまだ
快癒するとは思わない。

私の中で
病気を使って
大切な人に
愛されたいと言う欲望があるからだ。

私の父は
長年の病気で
家族の注目を一身に受けていた。

子供である私が受け取る注目も
持っていってしまった。

あんなふうになりたくないと思っていたことを
今の私がやっている。

子供の頃の恨みを

晴らしているのか。

大切な人生を棒に振ってまで
人の愛情が欲しいのだと思うと
その浅ましさにゾッとする。

東欧の小さな街にて

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