今立ち上がる意味。闘う意味。
みなさん、こんにちは!こんばんは!おはよう!
ふたつの痛みの病に侵され、痛みに呪われたflutist_umakoです。
さて今日の表紙のこの画像、なんだと思いますか?
そして私は今日何をお話したいのか分かりますか?
なぁんて、私のクレイジーな頭の中なんて誰にも分からないですよね。
大丈夫、説明します。
この画像はなぁに???
もう一度ここに載せましょう。
はいっ!今日の表紙はこれ!
↓ ↓ ↓
これ、どんなシチュエーションか分かりかすか?
実はこれ、コンクリートの隙間から生えている、その名も「ド根性大根」。
風に乗って種が飛んできたのか、なんなのか?
まさかこんなところに大根を育てようなんて人はいないはず。
こんな養分も、下に伸びるスペースもないこんなところにも、このド根性大根は立派に根を張り、大根として生きている。
別に私はこの画像を見て今日の記事を書こうと思ったわけではありません。
私も今、ド根性で踏ん張らなくてはいけない時なので、その事を書こうと思ったらこんなショッキングな大根を見てしまったので、この説明に目次のひとつを使ってしまったわけで...。
つまり今、私もこのド根性大根の様に、小さな小さな光が差すところをかき分けて、自分の頬をパシンと両手で叩いて挑まなければならないモノがあるという訳です。
私が新しく挑戦の原動力
実は今から私がお話することは私ひとりが目指しているゴールなのではなく、私の病気つまり線維筋痛症の患者ならばどうか変わってほしいと思う事への実行、前進なのであります。
もともと、私にこのきっかけをくれたのはFacebookグループの、
「線維筋痛症啓発委員会」
です。
このグループはお互いに理解できる痛みの分かち合いという事に始まり、今日本で正しい治療を行っている医師の紹介、自分たちで「線維筋痛症を指定難病にするには?」という国を動かす活動や、果てにはアメリカの最新の論文を訳したりと活動は多岐にわたります。
私はこの「線維筋痛症啓発委員会というグループ」で、お互いの顔や詳しい病状も知らないけれど、熱く活動するメンバーに心揺さぶられました。
私がここに綴っている記事をシェアするつもりで投稿した内容に共感してくださったからか、私もこの「線維筋痛症啓発委員会」の運営部に加わらないかと声をかけていただきました。
これこそが、私を今動かしている原動力になりました。
FM啓発委員会の現段階の目標
そして今運営部はじめ委員会が取り組もうとしているのが「線維筋痛症を指定難病に」という活動です。
驚くべきことに線維筋痛症は原因も明らかにはなっていない神経難病にも関わらず、日本では指定難病の中に入っていません。
今まで何度か国会内での質問に線維筋痛症の指定難病に関する質問が挙がったのですが...
実は日本に線維筋痛症という病気があると示された後に、ある県の住民調査によって日本での推定患者数がはじき出されました。
その人数、なんと200万人!!!!
私この数字を見て思わず計算をしてしまいました。
Googleで「日本の人口は?」と質問したら、2019年の段階で1億2630万人だそうです。
そこからはじき出された線維筋痛症患者の割合は、なんと約63人にひとりが線維筋痛症患者という事になります。
え、え、えぇ~!!
ちょ、ちょっと待ってよ、私約20年近くこの病気と付き合ってきたけれど、リアルで同じ病気の人に会ったのはたったの1人だけです。
それに、63人にひとりって私の大学時代を振り返ると、4学年通して同じ学科内に6人以上いることに。
そんなにいたか?いや、いない、おかしすぎる。
脱線しましたが、その200万人という数字は、難病法に定める人口の0.1%という条件に引っかかってしまうという大きな問題なのです。
しかし、そのグループ内でもリアルに同じ病気の人と遭遇した人は少なく、やはり200万人という数字が私たち患者から経済的負担や、さらには私たちの基本的人権や生存権まで奪っている!ということで署名活動をしていたところでした。
でも見ている人は見てくれている。
私たちが国会議員に直接嘆願できる機会が降って湧いたのです。
運営部の中でも、Facebookグループを立ち上げた人や中心的な立場にいる人が、身体中が激痛の中必要な書類、資料集めに奔走してくださいました。
私は、ちょうどその資料集めなどが終わったところで運営部に入ったので、ほとんど何もしていないんです。
そして、今8月にzoomを使って直接嘆願する準備を着々と進めているところです。
私にできることは何だろう?
こう思った時に、私は専門医もいない、同じ病気の人もいないこの山梨で、
「私に何か山梨を変えることはできないか?」
「福祉に手厚い自治体とは言い難い山梨でできることはないだろうか?」
という思いに駆られました。
一度「こうしよう!」と思ったら、すぐに動き出したくなるのが私の質。
良くも悪くも。
普通こういう時は、小さな自治体(市町村)から攻めていき、大きな自治体(都道府県)を変え広める様に動くものなのでしょう。
しかし私は事もあろうか、いきなり山梨県の衆議院議員、中島先生に話を聞いてもらうように突っ走ってしまいました。
しかしそれにはもちろん理由がありました。
それはその中島先生同郷の方で、大きなおまけに医師なんです。
ね?国会も閉会したことだし攻めたくなっちゃうでしょ?
あれ⁉私だけ???
しかし、国会議員に嘆願なんてしたことがない。
はるか昔にHIV訴訟を支える会のお手伝いをしていた時だって、先頭に立ってくれている人のずっと後ろに尾ひれの様にくっついていた程度。
これぞ、右も左も分からない状態。
それなのに、こういう時の私は一度とどまることを知らず動いてしまうのが常。
その日、私は山梨の事務所に電話しましたが不在の様子。
そして私は...
そうとは知らず、議員会館内のその先生の事務所に電話してしまいました!
電話に出たのはおそらく秘書の方か、先生の身の回りにいる方でした。
いきなりの電話に相手側も驚いている様子で、
「今までに中島(先生のお名前)に相談や、意見したことは?」
「あなたの市に相談したり、県に相談したことは?」
と、驚いているというより不信がっているご様子。
それもそのはず、それらの答えは全部、
「いいえありましぇん」
でしたから。
私は勢いが弱まり、一気に失速...しかかりましたが、
「私たちの病気についてまとめた資料(★1)や、指定難病への署名活動(★2)私のブログを読んでいただきたい!!」
と食いつき、電話の相手はこの後にそれらの資料を送るよう私に指示してくださいました。
電話を切ると、はぁ~(*´Д`)という疲労が一気に圧し掛かってきましたが、相手に門前払いされたわけではないと持ち前のポジティブを押し出して、資料等を送りました。
でも、
「こんな案件山の様に扱っているのだから、とりあえず見るだけだろうな」
と思っていました。
開けられなかったメール
私は勢いで中島先生への資料を送り、お話もさせていただきたい旨を相手に伝えました。
しかし、その直後から調子が悪くてしばらくPCに触れる機会がありませんでした。
中島先生の事務所から返信が来ていることも知らずに。
私ったら本当に失礼なヤツだな、いきなり押し掛けたはいいけどそこで倒れて失速かよ!!
久しぶりに開いたPCを見て私は自分を殴りたくなりました。
なんと中島先生の事務所からは話を聞いていただける候補の日を送ってくださっていたのです。
私は自分勝手だと思いながらも、返信が遅くなったことについて謝り、3つ挙げられていた候補日の中で唯一過ぎ去っていない日程を希望しました。
しかしその日はもう予定が埋まってしまったとのことで、今度の月曜日、そう7月5日に日程が決まりました!!
中島先生ご本人が話を聞いてくださるとは思いにくいですが、ご本人ともお話しできるように現在いろいろと勉強したり、調べ物をしたり、書き方もよく分かりませんでしたが、嘆願書を書いて事務所に送ったりと準備を着々と進めております。
話を聞いてくださっても、こちらの要求に賛同していただけるかもまだまだ分かりません。
でも、あのド根性大根のように、小さな穴を大きく広げて堂々と私たち線維筋痛症患者を取り巻く問題について改善を求めていきたいと思います。
終わりに
なぜ今私たちが声を上げなければいけないのか。
それは、国の予算を通して本当の患者数を計算し直し、厚労省の研究機関の設置、新薬研究開発、法整備をし、線維筋痛症が指定難病になるまでには1年、2年では難しいからです。
まず最初に東京の重症患者がモデルケースとして指定難病になったとして、それが全国に広まるまでには10年、いえもっとかかるはずです。
今私たちが声を上げるのは私たち自身のためでもありますが、私は私の姪っ子や甥っ子の年代のこども達や、そのまたこども達が線維筋痛症になった時に、詐病だと後ろ指をさされたり、経済的に窮迫したりせずに、堂々と、
「私の病気は指定難病になっている病気だから」
と言えるようになればいいなと願っているからです。
自分たちは今だけでなく未来をも作っているのだと思えると力がみなぎってきます。
踏ん張らねば!ド根性患者!
引用
★1 線維筋痛症資料書庫
https://hananosato035.hatenablog.com/entry/2021/04/21/071921
★2 「線維筋痛症を指定難病に」署名活動