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私の音楽遍歴:高二・文化祭で指揮をすることに?

Aloha!

PROLOG
この物語は、コンクールの華やかな受賞歴とは縁遠い、世間一般にどこでもある学校の吹奏楽部出身の音楽好きのじいさんの音楽遍歴(変歴?)を記したものである。

なんて、タッチを変えてみたりして(^^;)
そもそも高校時代にはコンクールに参加してなかったから、
縁があるはずもなし(^^ゞ

それでは、張り切っていってみましょう(^_^)/


高校二年の文化祭で、指揮をすることになりました。

なんで私がすることになったのか、どういう風の吹き回しかわからないけれど(^^;)

一年生の文化祭では、5学年上の先輩が指揮をしてくれて、ホルスト作曲吹奏楽のための第一組曲、戴冠行進曲などを演奏しました。
ですが、その先輩がこの年は都合がつかず指揮できないことになったもので(^^;)

そもそも、私の母校の状況を振り返ってみますと、、、

私が入学した頃の母校吹奏楽部はお世辞にも、

立派な楽器が揃って、部員が何十人もいて、コーチ、顧問の先生がビシビシと指導して、ピシッと良い姿勢で挨拶もハキハキ、コンクールではピカピカの賞を受賞する常連で、、、

なんてことはなくて、殆ど真逆と思って間違いない感じでしたね(^◇^;)

普段の活動は、とにかく、ゆる~く、ゆる~くで、
顧問の先生の定期的な合奏はなく、練習は全て生徒の自主性に任されているというか、放任主義?(^◇^;)
文化祭もしかりでした。

あ、夏合宿はありました。二年の時は違うけど、柔道部と一緒の時もあったんじゃないかな?
なにせ、T井先生がどっちも顧問やってましたからね(^○^)


話を戻すと、

前年に比べて、部員の数が増えました。
ので、演奏曲目を少し気張ってみました。

シベリウス作曲「交響詩フィンランディア」
吹奏楽編曲版です。

って、気張りすぎだろっ!って今なら思います。はい。
しかし、よくやろうと思ったよね。
それまで聞いたことありませんでしたし(^◇^;)

あと、その頃やってた映画「スティング」のテーマ とかもやりました。

実は私、小学校の学芸会で指揮したことあります(^^♪
って、ただの拍子振ってただけですけどね。
それには伏線があって、運動会の時にドリルメジャーやったんですよ。
そのせいで、学芸会でも指揮者役をやらされたわけです。

しかし、まともな指揮をやるのはもちろん初めて。
練習から音楽を作り上げていくことに立ち向かっていったのです。

すると必然的に自分のフルートの練習をする時間が減るわけでありまして、とてもじゃないけど「フルートとともに」なんて言ってられなくなりました。進歩は完全に停滞状態といってもいい状態でしたね。トホホ、、、orz

ですが、この経験は私の音楽遍歴に大きな影響を及ぼすことになるんですよね。

本番では、思いもかけないことがおきました。

フィンランディアの冒頭は金管楽器の暗めのフレーズから始まります。
なんと、私が棒を振り下ろしたタイミングで、、、、

きゃ~~~~~(゜o゜;;!!!

何がおきたと思います?

停電した?
指揮棒が飛んでった?
指揮台から落っこちた?

いいえ、
なんと、地震があったんです。

これほんとなんですよ。
こんなことはフィクションの世界ですよ。
超常現象かっ!ての(゜Д゜)

あのくらい気持ちになる冒頭部分が、聞く人を不安にさせると同時に、地震で不安にさせるという結果に。

それなのに、それなのに、、、、

私はまったく地震に気が付いてませんでした(^◇^;)

演奏が始まってから、なんだか客席がざわざわしてるのはわかってました。
まったくも~、こっちは演奏してるんだからね。
静かに聞いてよ!と心の声が叫んでました。

演奏終わってから聞かされてビックリしましたとさ(^^♪

中間部のメロディー、本当にキレイですよね。
それ以来、大好きになりました。

今だったら、もっとうまくやれるのになぁ、なんて思ってますが、
そのときはそのときなりに一生懸命演奏することが出来たかな?(^0^;)

余談ですが、去年、姪っ子の結婚式でチャペルのオルガンでこのメロディーが流れてきたときには思わず落涙するところでした(;。;) 
パイプオルガン、良かったです(^^♪

私の指揮者デビューは、規格外のものになりました。
あ、企画外ですかね。
でも、指揮することの難しさと同時に、音楽を一緒に作り上げていく感覚と感動はしっかりと記憶に焼き付けられました。

それではまた。
Mahalo!

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Flute Papa
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