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「人に良く見られなければならない」から、距離を置く〜誕生日を迎えて🎂〜

皆さまこんにちは😃ごまふです!

今回は、先月くらいから、ずっと書こうかこうとしていたことについて、したためたいと思います⭐︎

先月。
肉(と霊…主日礼拝に正式にデビューした日)の誕生日でした🎂✨✨
肉はアラフォー、霊はティーン一年目に無事、成長しました(笑)

妊娠〜出産に伴い、様々な変化と、準備をしていて、仕事や自分自身の受ける方のレッスンも整理しなければならず、ゴタゴタしていました。

そんな私を眺めながら、(またもや‼️)ねこさんがぼそっと一言…

🐈「ごまふさんはさぁ、"人に良く見られなければならない・良く思われなければならない"っていう思考←を中心に、動いているよね〜」

((((;゚Д゚)))))))!?!?!?!?

What's⁉️⁉️⁉️


なんですと???

「人に良く見られたい・思われたい」ではなく、
人に良く見られなければならない、人に良く思われなければならない、という、「思考」…考え方・認識(もっと言うと思い込み😇)を中心に生きている、と…!?


…🦭


ねこさん、鋭いと言うか、なんというか…私のこと良く観察して、理解しているなぁ、としみじみ……🦭←🐈💡💡💡


はっとしました。

その通りだ、と思いました。



私は、物心ついた時から、人の目を滅茶苦茶気にして生きてきました。その自覚はあります^^;
人からどう思われるのか?すごーく、いつーも気になっちゃう。

それ自体は、一先ず良いんですが、そのことが、常に、自分を苦しめてきたと思うんです。

人の目を気にして、自分の本当に好きなことができなかったり。
人の目を気にして、嫌々ながら嫌なことを行って心が死んだり。
人の目を気にして、自分の意思で振る舞えない。

人には「良く」思われなければならない…という思い込みに囚われぎて、周りの人を誤解したり苦手だと感じたり(なんであの人はあんなことするんだろう?理解できない!とか)。

私の人生は、人に嫌われてはならない、という思い込み故に、人の顔色を極端に窺った、雁字搦めな人生だ。(言い過ぎ…?でもない。。)


でも、私自身、本当はどう思ってるの〜?と考えて見た時に、

可能な限り仲良くしたいけれど、別に、全ての人に好かれたい訳でもないし、
全ての人に良く思われるなんてそんな事、烏滸がましいし、私をどう思うかは、人々の自由だし、
極論…神様さえ分かって下されば、それで良い。

別に、人に良く思われなくてもよいから、人生悔いなく、きちんと生き抜きたい。自分の守るべきもの(家族とか)を、全力で守りたい…そう思いました。


…ぷほ🦭)))


いやぁ。
相変わらずえげつない(ねこさんを介した)神様の、気付かせ、だと思いました😅

この事に気づき、なんとも言えない息苦しさから、解放されたような気がします。そして、良くも悪くも、本来の私の性格が、徐々に顔を出しつつあります…。

人の顔色を窺って動くことと、人の心を気遣って接することは、全くの別物。

人生をきちんと生ききりたいから、人の顔色を窺いながら、人に良く思われるように振る舞っている時間はないなぁ、と思いました。


人生の「時」に関する聖句は、こちらが有名ですが…

1 天が下のすべての事には季節があり、
すべてのわざには時がある。 
2 生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、 
3 殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、 
4 泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、 
5 石を投げるに時があり、
石を集めるに時があり、抱くに時があり、
抱くことをやめるに時があり、 
6 捜すに時があり、失うに時があり、
保つに時があり、捨てるに時があり、 
7 裂くに時があり、縫うに時があり、
黙るに時があり、語るに時があり、 
8 愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。 
伝道の書3章1〜8節
                   旧約聖書


限られた時間の中で、自分が何をしたいのか、どうありたいのか、その為には何を中心にして生きたら良いのか…もう一度点検していきたいと思います☺️🙌
(自分の思い込み中心から、神様の考え中心に、再転換!!)

人が〈必ず言うべき言葉〉と
〈必ずすべきこと〉だけをして生きたら、
西の山に日が暮れるまで時間が余って、
楽に休んで生きる。
鄭明析牧師の箴言より


ではでは、今回はこの辺で⭐︎
ご覧頂き、感謝です〜😊✨✨



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