その女の名は「おぬし」
「おぬし」というあだ名の女の子がいた。
それはフルネームに由来している。例えば「オオヌキ シオリ」とか、そんな感じの名前を縮めて「おぬし」になるといった具合だ。
彼女は大学の英語部演劇セクションの後輩だ。体験入部時に「なんて呼ばれているの?」と聞かれた彼女が「おぬし」というインパクト抜群のニックネームを繰り出したので我々は色めき立ち、その呼び名は即採用となった。
その「おぬし」というニックネームがやや一人歩きしてしまったため、他のセクションの同期が「なんか面白いあだ名の1年生いたよね。『あやつ』だっけ?」という、惜しいんだか惜しくないんだかよく分からない覚え間違いをしたりしていた。
おぬしは国際系の学部に所属するインターナショナル女子で、歌が上手くてアカペラサークルも掛け持ちしていた。アクティブ女子だ。
そして高円寺に住み、古着を愛するおしゃれ女子でもあった。
お母さんから譲り受けたというレトロなワンピースを難なく着こなし、眉上ぱっつん前髪と赤茶色のおかっぱ髪が良く似合っていた。
彼女がすごい厚底の靴を履いていた時は、おしゃれ偏差値控えめな同期の男子から「階段でこけたりしない?」という、おしゃれ凡人らしい素朴な質問を投げかけられたりしていた。
好きそうなのでラーメンズを布教したら見事に彼女のツボにハマり、「ギリジンさんが歌うネタは絶対笑っちゃいます」と言ってくれたのが嬉しかった。
さて、そんな素敵なおぬしと、私がサークルを引退してから数年ぶりに会うことになった。
現X、当時のツイッターの彼女の投稿に暇な私が絡みに行き、社交辞令かもしれない「会いたいですー」を真に受けて誘ったのだ。
誘っておきながら良い感じの店を一切知らない私は、おぬしの“個人店のクレープ・ガレット専門店”というさすがはおしゃれ優等生といったチョイスに甘えまくってランチをすることになった。東京出身なのに情けない。
当日、「昼食にガレット食べてー、その後デザートでクレープ食べちゃおっかなー」と、のこのこと神泉駅に参上した私は、はたと気づいた。
私は人の顔をほぼ覚えられない。
私は人を顔のパーツでは全くと言っていいほど判別できないので、髪型とか眼鏡とか体格とかでなんとなく判断している。学校、サークル、会社などで週に何度も会っていればその人の“雰囲気”というものを掴んでそれで人を判別しているのだが、髪をばっさり切られたりいきなり眼鏡を掛けられたりすると、もうお手上げなのだ。
数年も会っていない相手、特に女性は、髪型が大幅に変わっている可能性がある。おぬしほどのおしゃれさんなら、別人のような格好で来るかもしれない。それを数年ぶりに見る私が判別できるだろうか。自信が無い。
しかし仲の良かった後輩を、しかも一方的に話しかけて約束を取り付けた私が、目の前にいるのに他人のようにスルーすることは許されないだろう。彼女にとっての“良い先輩”であり続けるためにも、遠くから彼女の姿を盗み見るだけでおぬしを判別し、先輩らしく颯爽と「久しぶりー」なんて声を掛けたいものだ。
待ち合わせ時間になり、髪が短くおしゃれなワンピースを着た女子が改札から現れた。
なんだあまり変わらないじゃないか、と安心し、「おぬしー」と声を掛けた。
知らない人だった。
全力で逃げられた。
初対面から「おぬし」呼ばわりをされたのだ。当たり前である。事案すぎる。
私は「おぬし」のことを限りなく自然に人の名前と認識していたが、その単語は世間的には「お前」を物凄く古風に言った、二重で怪しいセリフである。
「神泉駅改札付近にて、ニヤニヤした女が通行人に突如『おぬし』と声を掛ける」という事案の不審者と化した私は、この街の治安を守るために、大人しく本物のおぬしから声を掛けられるのを待つことにした。先輩ぶって慣れないカッコつけをするとすぐにこれである。何重にも情けない。
数分後、「みなもさん、お久しぶりです~」と、おぬしは間違えることなく私に声を掛けてくれた。本物のおぬしは、ロングヘアになっていた。「当たるか~い」と内心思ったが、普通の人は多分当てられるのだろうし、この人も数年会っていない私の姿を当然のように当てたんだよなあと悲しくなった。
先ほど私が起こしてしまった事案の話をしたら、「その名前はダメですよー」と、不審者でしかない私に笑ってくれた。温かさが沁みる。
おぬしが紹介してくれたお店で、近況報告と過去と現在の恋バナなどをしながらガレットとクレープを食べた。
人の顔を覚えられなくても、せめてお店の手配はしてあげられるようになりたいよなぁ……と思いつつ、お店のおしゃれさと料理の美味しさに、おぬしのセンスを超えることは早々に諦めた。かっこいい先輩は遠い。