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#4 オランダ6部での挫折~精神面の弱さと環境に適応できなかった話~

大前提として、🇳🇱オランダのサッカーは🇩🇪ドイツでのサッカーとは大きく違いました。

🇩🇪ドイツではワンタッチ、ツータッチでつないで、縦に速い攻撃を目指すナーゲルスマン寄りの監督の下で左ウィングとしてプレーしてた私ですが、🇳🇱オランダで所属したチームのサッカーはまた違うものでした。


さて高校卒業をして2022年の夏に、🇳🇱オランダに移住しました。

🇳🇱オランダに移住してから、数ヶ月は学生が主なチームに所属しました。

(一応、大学生でもあったんで😝)

オランダ8部の学生が主体なチームでは好きにやらせてもらえ、王様的なプレーをしていました。

そして冬の移籍期間で、同じ市内にある6部リーグに所属するVVgroningenに移籍しました。

🇳🇱8部では自由にやらせてもらえた私ですが、6部ではそうは行きませんでした。

まず、選手全員のレベルが高いですし、身長も高くフィジカルが強い💪。特に身長の高さは🇩🇪ドイツとは、比べ物になりませんでした。

🇩🇪ドイツの中でも特に私のいたフランクフルトは移民も多く、
小柄で上手い🇹🇷トルコ系の選手がいたり
(チームに絶対って言っていいくらいいる🧐)

外国籍の選手が多い環境でした

🇳🇱オランダリーグは、私が田舎グローニンゲンにいた事もあり、🇳🇱オランダ人が多く皆、背が高かったです。

さらに加えて、環境もあまり恵まれず、、、

外国人が日本の田舎に行ったときみたいな対応された😭

中国人って呼ばれてたし😓

あんまコミュニケーション取れなかった💦


VVgroningenのスタイルとしてはボールを大事にする、ゆっくりでも正確に繋ぐ事に重きを置いていました。

そして監督が特に言っていたのは「数的優位を増やす」、「相手のプレスを引き付けて逆サイドに展開する」という事。そのための練習を何度も、繰り返していました。

そして監督が一番嫌いだったのは「短い距離のパスミス」💢

正確に繋ぐのを求めますが、ディフェンスラインやボランチには、危なくなったらとにかく蹴れと繰り返し言っていました。

さらに選手間の距離がドイツの頃より広かったです。

なのでロングボールを使う事がチームとして非常に多かったです。

ただし、練習で形は上手くいっても、試合で相手のプレッシャーがある中、中途半端なロングボールが必然的に多くなり、前線の選手が競り合う機会が多かったです。

(たぶん、プレッシャーの中でも正確な
サイドチェンジが出来るようなレベルの選手は上のリーグに👍)

左ウィングの私も競り合いに巻き込まれますが、とにかくでかい相手に阻まれ、まあ勝てない😰😰

試合に出ても可も不可もないプレーに終始しました。

左サイドから縦に仕掛けたり、ライン間に顔を出して前を向いてフォワードに出しても、監督やチームメイトに「焦るな」、「焦るな」と言われる始末。

自分の得意としてるプレーが試合でも練習でも通じるにも関わらず、そのプレーがチームに求められていないこと。

(今、考えるとめちゃくちゃわがまま😰😰)

ドリブルやパスを繋ぐ技術的においては、ポジションを争う選手と比べて優れているのに、自分が先発で使われない事実。

(サッカーは技術だけが全てじゃない🧐)

こういったフラストレーションがどんどんと溜まって行きました。


言葉も通じないし、「監督や周りの選手から理解がない」、「分かってもらえない」という思いばかりが募って来て練習に行くのが嫌になって来ました😖😖

さらに家族が帰国したこと、フランクフルトに頻繁に帰れなかったこと。

ホームシックになって来ました。

さらに寒い冬もダメージに

自転車で行うフードデリバリーのバイトも寒いし疲れますし

精神的に限界というか、気持ちが切れかかっていました。


試合でも、たまに左サイドからのドリブルで縦に突破したりフォワードとワンツーで抜け出すこともありましたが点は決めれず、目に見える結果は残せませんでした。

(目に見える結果を残せれば、何かが変わったかも🤔)


ただし今、冷静に考えればこれは当たり前で🇳🇱オランダでは「外から来た助っ人という立場」、即戦力としての活躍が求められたのです。🇩🇪ドイツではユースから昇格した身内、なので私を育てようという思いが監督たちにあったはずです。


それなのに、サポートや理解がないと言って、意固地になって自分のやりたいプレーばかりしていた私は当然、監督からの信頼など得られず、「何か試合の空気変えてくれたらいいな枠」で後半から出してもらえるだけ選手という評価に終始してしまったのです。


当時、このことに気付けていたら、何か変わっていたかもしれませんが、、、、

そしてもう一つ気付いたことは、私はゲッツェみたいな選手だったこと💫

周りからのサポートや信頼がないと、思い切ってプレーできない、メンタル的に繊細な人間だということです。

🇳🇱オランダでの生活を思い返すと、私って、ほんとに呆れるほどメンタル弱いなって思います。

私には無条件の信頼というのが非常に大事。

(褒めて伸ばされるタイプ💫)

仕掛けに失敗しても、「いいぞ‼️どんどん仕掛けろ‼️」とかパスミスしても「ナイストライ」と声をかけてくれる監督やチームメイトの存在。

🇩🇪ドイツ時代の監督は、二人とも試合中はこのタイプでした✨

(試合中はとにかくポジティブな事しか言わない👍試合後に呼ばれて言われるけど💦)

何とも言えませんが🇳🇱オランダでは、監督はチャレンジよりセーフティを求め、勇んで仕掛けたり前を向いても「落ち着け」「焦るな」と声をかけ、熱より冷静さを求めていました。

そして私自信、オランダの監督とよくコミュニケーションを取ろうとしたりはしていませんでした。

言葉とかを言い訳にして、歩み寄ろうとしていなかったのです。

別に監督のせいにしている訳ではないですが🇳🇱オランダのチームは、合わなかったんだなと思います。

( そして私が、精神的に幼すぎた😓😓)

ただし、今回の事で学んだ、コミュニケーションの大切さ(相手の求めているものを読み取る力💪)。


そして🇩🇪ドイツ時代の監督から離れて始めて気付けた、無条件の信頼の大切さ、ポジティブでいることの大切さ✨

これは今後の人生の教訓にします。

そして私も🇩🇪ドイツ時代の監督のように、いつかそれを与えれる人間になりたいと思います💫

さて話を戻して、不貞腐れながらも練習には行っていた私は練習で怪我をします

そして怪我と(テスト期間という名のサボり😝)を経て練習に戻ったらクラブは倒産していました。


次回⇒精神的な限界

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