合わせられる人、合わせられない人
世の中には
合わせられる人と
合わせられない人が居る。
どちらが悪いわけでも
良いわけでもない。
ただ、そういう人が居る
ということだ。
合わせられる人=受け入れる、女性的
合わせられない人=突き通す、男性的
などとも表現できると思う。
もちろん、片方だけの性質を
持っているとは限らない。
人の個性、性質はとっても複雑で
どちらも持ち合わせていて
その度合い、配分がみんな違う。
合わせられない人は
合わせられる人に対して
自分を持っていない、面白みがない
と思うし
合わせられる人は
合わせられない人に対して
柔軟じゃない、人の気持ちが分からない
と思う。
そこに、価値観の違いを感じるのだろう。
これは、同性間よりも
異性間での方が強く感じる。
やはり、男性女性と言う性差には
想像以上の違いがあるのだろう。
女性が男性に
「なんで、わかってくれないの」
と思うのと同時に
男性は女性に
「なんで、主張をしないんだ」
と思うだろう。
これは仕方のない違いなのだ。
ただ、それを仕方ないと諦め
理解しようとすることを辞めてしまえば
それ以上の人間関係の発展はない。
それでも良いのなら問題ないが
自身の考え方に固執してしまい
相手を受け入れられなくなり
自分の意見を突き通してしまうリスクはある。
ここでもう一度言いたいのは
合わせられない人が悪い
と言いたいのでは、決してないということだ。
自分の意見を持っていて
それを突き通す姿は
芯があって美しく、かっこいいと思う。
余談だが、私の異性のタイプは
完全に合わせられない人寄りだ。笑
そして私は、完全に合わせられる人だ。笑
人は自分にない性質に惹かれ
尊敬の念を抱く。
それは自然の法則で
補完し合える関係だと知っているからだ。
補完し合えば
自分一人では感じられない世界でも
二人でなら行けることを
知っているからだ。
ただ、それにも度合いがある。
合わせられる人、合わせられない人の
両端へのふり幅が
近すぎる人だと物足りないだろうし
遠すぎる人だと分かり合えないだろう。
そこが価値観の違いという言葉となり
合う、会わないの判断に至るのだろう。
そんなことを、ふと思った。